ある中高年ランナーの悪あが記

長引くハムストリングス付着部炎に悩まされながらも走ることを諦めきれない高齢者ランナーの奮闘記

秋田市内羽州街道ウォーク(千秋公園~土崎)

 相変わらずハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みは続いているのですが歩けないことはないので、昨日(10/30)は少し長い距離を歩いてみました

 どうせ歩くなら名所旧跡を巡り、しかもクマの危険が少ないコースにしようといろいろと考えた結果、羽州街道沿いを歩くことにしました。

 羽州街道とは江戸時代に整備された街道の一つで、福島県奥州街道から分岐して山形県秋田県を通って青森県で再び奥州街道に合流し、東北日本海側の多くの大名が参勤交代の際に利用した街道です。

 そして昨日歩いたコースは、次のマップのとおりで、主に羽州街道を通りました。

 なお、このマップでは、歩いた距離が9.1kmとなっていますが、実際にはスタート地点の千秋公園までも自宅から歩き、帰りは土崎駅から秋田駅までは電車に乗りましたが秋田駅から自宅までも歩きましたので、トータルすると14km以上は歩いたことになります。

 さて、スタート地点である千秋公園の入口に着きました。

 千秋公園をスタート地点としたのは、千秋公園秋田藩主の佐竹氏の居城だった久保田城の跡地に造られた公園ですので、ここから羽州街道に進んで往時に思いを馳せながら名所旧跡を辿ってみたかったからです。

 まず、千秋公園から。ここは二の丸跡です。

 

 そして表門です。

 表門を潜ると本丸跡です。

 ここからスタートです。

 千秋公園の入口までもどり、その名も佐竹小路という比較的狭い道を通って通町に入ると羽州街道になります。

 羽州街道は左から来てここのT字路で左に曲がります。つまり私は真っすぐに進むことになります。

 八橋(やばせ)地区に入ると間もなく日吉(ひえ)八幡神社がありました。

 羽州街道沿いにある山門の間からは県内唯一の木造重層建築物である三重塔が見えます。

 羽州街道を進み、面影橋を渡るとすぐに塔寺というお寺があり、そのそばには石造りの五重塔がありました。

 この五重塔花崗岩製で高さは9m以上あるようですが、大坂から船で運ばれて寄進されたものと言われています。

 寄進の理由は、昔、土崎湊に入港しようとした西国の商船が難破しそうになった時、宝塔寺の灯りを頼りに入港することが出来たことからそのお礼だった、とのことです。

 

 面影橋まで戻り、再び羽州街道を進みます。

 なお、この日に歩いた羽州街道の大部分は現在では通称で「旧国道」と呼ばれています。

 秋田市では市の中心部から土崎方面に向かう道路としては比較的海に近い所を走る「国道7号」の他、この「旧国道」そして官庁街から向かう通称「新国道」があり、慣れていない方は戸惑うかもしれません。

 なにしろ、「新国道」と言ってもそれは随分昔に新しく出来た国道であり、その後、秋田北バイパスが完成して国道7号が現在のルートとなり、「新国道」が国道で無くなってからもう数十年(約50年?)も経っているのにいまだに新国道と呼ばれているのです。

 話が脱線しましたが旧国道を進み、古四王(こしおう)神社に着きました。

 古四王神社には征夷大将軍坂上田村麻呂が再興したという伝承がありますが、文献資料では田村麻呂が秋田に来たということは確認されていないようです。

 さて、ここまでは羽州街道沿いに歩いて来ましたが、少しコースを外れて羽州街道以前からあったと思われる「古道」を歩きたいと思います。

 斜め左に見える細い道です。

 古道に入って間もなく「高清水霊泉」と呼ばれる泉がありました。

 高清水霊泉は1,300年前に湧き出たと伝えられており、古くから人々に飲み水や御手洗水として親しまれてきましたが、現在は衛生上の理由から飲むことは出来ないそうです。

 そして古道をさらに進むと墓地の一画に菅江真澄の墓がありました。

 菅江真澄は江戸時代後期の紀行家・民俗学者三河の国の出身ですが、東北や北海道を旅し、晩年には秋田に定住して数多くの紀行文や図絵を遺しています。

 古道をさらに進むと旧国道に合流しました。

 

 旧国道をさらに1kmほど進むと新国道と交差します。羽州街道は交差点を横断して真っすぐに進みます。

 

 羽州街道はこの後もしばらく真っすぐに北上するのですが、昨日は羽州街道と短い間隔で並行して走っている国道7号沿いにある「土崎みなと歴史伝承館」に立ち寄りました。

 土崎みなと歴史伝承館は、ユネスコ無形文化遺産に登録された土崎神明社祭の曳山行事や土崎空襲などに関する展示を行っており、開館してから5年以上になるのですが私はまだ1回も訪れたことがありません。

 入館は無料でした。入館して事務室の前を通ったところ、驚いたことに知り合いがそこで職員として働いていました。

 幸い、この日は他に誰も見学者がいなかったこともあってか、その方はずっと私に付きっきりで説明をしてくれました。ありがとうございました。

 これは曳山行事(土崎港曳山まつりの曳山で高さは11.5mあるようですが、知り合いの話によると実際に祭りで町の中を曳かれるものは電線に引っかからないように4.8m(?)に制限されているとのことです。

 写真は逆光のため暗くて良く見えませんので、興味がおありの方は次のホームページでご確認ください。

https://tuchizaki.com/

 また土崎地区は太平洋戦争の終戦の前夜に空襲を受け、250名以上もの犠牲者を出したそうです。

 攻撃目標は、当時日本で最大の産油量をあげていた日本石油秋田製油所でしたが、近隣の民家も多大な被害を受けたとのことです。

 空襲展示ホールには被爆した日本石油秋田製油所の建物の一部が移築され当時が再現されていました。

 また、不発弾も展示されていました。

 

 その他、空襲で亡くなった小学生の学童服もあり、爆弾の破片により穴が開いているなど悲惨な状況でとても写真に撮ることは出来ませんでした。

 あと1日終戦が早かったら死なずに済んだでしょうに・・・。

 今もウクライナでは戦争が続いており、イスラエルでもまた戦争が起きています。

 1日も早い平和を願わずにはいられません。

 

 その後は、例祭で曳山行事が行われる土崎神明社に行ってみました。

 

 隣には街区公園があり、D51が置いてありました。

 

 土崎駅はそこからすぐでした。

 土崎駅から秋田駅までは電車で移動し、秋田駅から自宅までは歩いて昨日のウォーキングは無事終了です。

 実は、この日訪れた場所は、千秋公園を除いてすべて初めて行った場所でしたので非常に有意義でした。

 そして故障部位についても、幸いにも長い距離を歩いても右臀部の痛みが増すことは無くわずかな痛みで済みましたので、最悪の状況は脱しつつあるのかもしれません。

 でも、調子に乗っていきなり走り出すとまた悪化させてしまいかねませんので、もう少しウォーキングで様子を見たいと思います。