昨日(4/11)は、羽州浜街道ランの第6弾としてにかほ市の上浜駅から県境を越えて山形県遊佐町の遊佐駅までのランを行いました。
そしてそのルートですが、県境となる三崎峠の辺りは羽州浜街道で最大の難所となっていたためか、明治以降の道路整備においてはその部分を迂回して整備され、羽州浜街道は現在でも人がやっと通れるような山道のままになっています。
そのためグーグルマップでもその三崎公園内の山道(※羽州浜街道)のルートを表示出来ませんので、可能な部分だけを表示させていただきます。
まずは、上浜駅から国道7号線などを通って三崎公園内の山道の入口までのルートです。
そしてその後は山道を通って三崎峠を越えると再び国道7号線に出ますので、その地点から吹浦駅までのルートです。
この日はランの前にスタート地点から車で10分ほど手前にある道の駅象潟で昼食を摂りました。
道の駅象潟は東北最大級と言われ、約20,000坪もの敷地があります。
小さな祠もありました。
これは何でしょう?
建物の裏手の広場には前回の旅ランで訪れた蚶満寺(かんまんじ)同様に西施(せいし)の像がありました。
松尾芭蕉が奥の細道の道中、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と詠んでいますものね。
さて、車を上浜駅の駐車場に移動させ、そこからスタートです。ここにはゴール後に吹浦駅からJRで戻って来ますので、置かせてもらっても問題ないでしょう。
数十m進むとすぐに国道7号線に出ます。ここからが羽州浜街道です。
途中、大砂川地区と小砂川地区では国道7号線から外れますが、小砂川では八幡神社に立ち寄りました。
創立年代は不詳のようですが、拝殿には見事な彫刻が施されていました。
国道7号線に戻っての間もなくのこの地点から羽州浜街道はまた国道7号線を外れて、三崎公園内の旧道に入ります。
ただ、グーグルマップでは羽州浜街道は国道7号線を挟んで反対側のこの道路に入ることになっています。
しかし、この道は明治9年に初めて開削されたものであり(※現在の国道7号線が海岸沿いに開通する昭和27年までは国道だった)、江戸時代から存在していた羽州浜街道ではありません。
奥の細道で有名な松尾芭蕉も、もちろんこの道ではなく三崎公園内に今も残る旧道(※羽州浜街道)を通ったようですので、私も松尾芭蕉と同じ道を辿ることにします。
ちなみに辿る道は次の地図で「三崎旧道」と表示されているラインです。そしてまた、旧国道は羽越本線の上を走る「酒田街道(明治9年)」と書かれているグレーのラインです。
旧道に入りました。やはり険しい山道のようです。
ところどころに「奥の細道」の案内表示がありますので、それを頼りに進みましょう。
ただ、この三崎公園内には「奥の細道」(※三崎旧道)のほか、公園として整備された遊歩道も入り組んでいて、どちらを進むべきか迷うことがあります。
まあ、整備されていない方を旧道と判断し、歩きにくい道を進みます。
やがて舗装道路に出ました。この道路は公園内の道路です。奥の細道で芭蕉に随行した門人・河合曾良の日記による文学碑もありました。
道路を渡って再び森の中に入ります。
一里塚跡がありました。紛れもない旧街道の名残ですね。
草木を分け入っていくような場所もあります。
約1200年前に慈覚大師円仁が開いたと言われる太子堂に着きました。
太子堂の周辺には五輪塔(※石を5個積み上げた供養塔)が点在しており、古い物は円仁の時代の頃のものといわれているようです。
そして三崎旧道の山形県側入口に着きました。来た道を振り返ります。
秋田県側の入口からここまでは1.6kmほどでしたが、大きな石が転がっているなど歩きにくい部分が多かったため43分も掛かりました。でも、これは想定の範囲内です。
さあ、ここからランの再開で国道7号線に戻ります。
7号線を離れて女鹿集落に入ると神泉(かみこ)の水と呼ばれる住民の共同洗い場がありました。
女鹿集落は建物がすべて瓦屋根であり、色調も統一感があって風情がある街並みです。
松葉寺の入口にはお地蔵様と庚申塚がありました。
女鹿集落を過ぎ、国道345号線に入ってから海沿いの滝ノ浦という集落を通っていると高い位置から私を見下ろしているお地蔵様を発見。
江戸時代から旅人を見守ってくれているのでしょうか?
そしてさらに国道345号線を数百メートル進むと今度は鳥崎という集落にもお地蔵様がありました。
そういえば、吹浦地区ではユネスコの無形文化遺産に「来訪神 仮面・仮装の神々」として登録された「アマハゲ」の民俗行事が行われていますが、アマハゲの行事が今も行われているのはお地蔵様を見かけた女鹿・滝ノ浦・鳥崎の3つの集落だけのようです。
お地蔵様とアマハゲには直接的には何の関係もないのでしょうが、この偶然は昔からの歴史や伝統を大事にするという住民の方々の意識の表れによるものかもしれません。
さらに345号線を1kmほど進んでから羽州浜街道は345号線を離れて南光坊坂を経由します。
ところが、途中から通行止めとなっていました。
まあ、車両通行止なのでランナーの通行は大丈夫でしょう。
坂道の途中には「南光坊坂開通の碑」がありました。
この南光坊坂というのは、南光坊永淳順法師が、荘内から秋田に通ずる悪路から住人旅人の難儀を救おうと新道開削を決意し、1839年(天保10年)に生涯の事業として独力で工事を始めて完成させたと伝えられています。
この道路が出来るまではさらに山側の悪路を通るしかなかったようですので、南光坊法師の功績は計り知れないものだったでしょう。
さらに坂を上ると通行止めの原因が判明しました。大きな石が路上にありました。たぶん崖の上から落ちてきたのでしょう。
坂を上り切ったところで来た道を振り返りましょう。だいぶ上って来たのですね。
ゴールの吹浦駅までは大分近づいて来ましたが、時間が余りそうなので道路沿いにある諏訪神社に寄ってみました。
そして次にこの日最後の訪問地である鳥海山大物忌神社(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ)の里宮である吹浦口ノ宮に行きました。なお、本殿は鳥海山の山頂にあります。
下拝殿の脇の長い石段を上って拝殿に着きました。
更にその裏に建物があるようなので行ってみましょう。ただ、その建物に行くためには拝殿の中を通らなくてはならず、普段は中には参拝者は入れないようです。
拝殿の横の階段を上って月山神社本殿のそばまで来ました。
ただ、月山神社本殿と鳥海山大物忌神社吹浦ノ口本殿には柵が張り巡らされてこれ以上は近づけませんでした。
吹浦駅から見た鳥海山です。鳥海山は富士山のような円錐形をした美しいコニーデ型火山でしたが、噴火により山体崩壊を起こし、現在の姿になっているとのことです。
吹浦駅前の桜です。満開ですね。
吹浦駅からはJRで上浜駅に移動し、無事、車で家に帰りました。
この日のランは前半・後半合わせて12kmほどで、いずれもキロ7分台の後半とかなりのゆっくりペースでした。
今後の旅ランはいずれの回も25km以上と長距離ですので、はたして走り切れるでしょうか?