ある中高年ランナーの悪あが記

長引くハムストリングス付着部炎に悩まされながらも走ることを諦めきれない高齢者ランナーの奮闘記

羽州浜街道ランその②(新屋~道の駅岩城)

 昨日(2/18)は、羽州浜街道ランの第2弾として秋田市新屋から由利本荘市の道の駅岩城までのランを行いました。

 そのルートは次のとおりです。

 まずは、ラン&ウォークで秋田駅まで移動です。

 秋田駅に着きました。

 

 そしてこの日のスタート地点の最寄り駅である新屋駅に電車で移動しました。

 久々に良く晴れましたので気持ち良く走れそうです。

 5分ほど走ると前回もご紹介した汗かき地蔵に着きました。

 

 この汗かき地蔵がスタート地点でこの一方通行の坂を上って行きます。



 それほど急な坂ではありませんが結構上りましたので少し後ろを振り返ってみましょう。



 結局、坂は1km近く続き、上り切った辺り(※秋田市浜田後谷地)にまた地蔵堂がありました。地蔵堂の外にもお地蔵様がありましたが、裏を見ると昭和のような文字が見えたのでそちらは意外に新しいもののようです。



 また地蔵堂には鍵がかかっており、中に入れませんでしたが、窓越しに写させていただきました。



 その先は下りになります。少しですが海も見えます。

 

 浜田地区コミュニティーセンターまで来ると「浜田浜」という案内看板が見えました。秋田市には「浜田浜海水浴場」というマイナーな海水浴場があり、私は一度も行ったことがありません。どんなところかちょっと立ち寄ってみましょう。

 全く人気(ひとけ)がありません。

 1軒だけ見える海の家のような建物も壊れており、営業はしていないようです。

 家に帰ってから調べてみたら、浜田浜海水浴場は浅瀬が少なくなった等の理由で10数年前から海水浴場としての開放はしていないようです。

 

 羽州浜街道に戻り600m程進むと、秋田市保存樹になっているクロマツ(※秋田市浜田滝ノ下)がありました。

 そしてその100mほど先には何やら標柱が立っています。

 「由利郡境御陣所跡」、「滝之下御本陣跡」と書かれています。また、この隣にはもう1本、「秋田藩郷倉屋敷跡」、「浜田尋常小学校跡」、「相原宗家拝領屋敷跡」と書かれた標柱もありました。

 

 さらにその先50~60m先にはまた地蔵堂がありました。この場所は、浜田滝ノ下です。

 庚申塚もあります。

 

 羽州浜街道はこの先1.5kmほど南下して国道7号線を横断するのですが、その辺には信号も横断歩道も無いので渡るのは危険です。

 そこでその少し手前(桂浜海水浴場の入口付近)で歩行者用の地下道を潜って7号線の反対側に出ました。ここから先は初めて通る道です、

 境川に架かる小さな橋を渡るとなにやら標柱があります。文字が消えかかっていますが「桂根藩境跡」と書かれているようです。

 どうやらここは久保田藩秋田藩)と岩城亀田藩の藩境だったようです。

 桂根の集落の中をしばらく走ると踏切があり、国道7号線の旧道に出ました。

 現在は2020年に開通したバイパス道路の下浜サンセットロード(現在の国道7号線)のおかげでこの旧道はだいぶ交通量が少なくなりましたが、バイパス道路の開通前は国道が下浜地区の真ん中を通っており横断歩道も少ないため、まさに集落が分断された状態でした。

 

 旧国道を4.6kmほど進み、国道7号線に合流しました。300mちょっと進むと雪川橋という小さな橋があり、ここが秋田市由利本荘市の境界です。橋の上から見える海を写しました。

 

 そこから1.3kmほど7号線を進み、国道を離れて岩城勝手という昔からの集落に入ります。

 岩城勝手の新谷という地区でまたお地蔵様を見つけました。なぜか街道沿いではなく、街道から2~3mほど小路に入ったところにありました。

 お地蔵様は、道路や交差点に立っている場合が多いようですが、これらの場所は旅人や通行人が頻繁に通る場所であり、お地蔵様はそこで旅人を守護し、安全な旅を促す役割を果たしているのだそうです。

 お寺などに立っているお地蔵様は別として、このようにお地蔵様が道路脇に立っているということはそこが人々が盛んに往来する場所だったということを示しており、ここが羽州浜街道だった可能性が高そうです。

 そしてその後、7号線を横断して再び集落に入ると、岩城勝手の川向という地区でまたお地蔵様を発見しました。

 この日はこれで5か所目です。まるでお地蔵様探訪ツアーですね(笑)。

 再び7号線を横断して内道川という地区の集落を過ぎると7号線沿いにこの日の目的地である「道の駅岩城」が見えてきました。7号線の側道を通って道の駅岩城到着です。



 そしてここが温泉施設の「港の湯」です。

 入浴料は、大人の場合、由利本荘市民は「3時間券450円、1日券550円」でその他の秋田県民は「3時間券500円、1日券600円」そして秋田県民以外は「3時間券650円、1日券700円」と複雑です。

 ただ、それは自己申告であり、住所を証明する物も必要なく、また滞在時間のチェックもありません。性善説に基づいたシステムのようです(笑)。

 

 温泉を楽しんだ後、大広間でリラックスしながら昼食とビールをいただき、その後、建物の裏側の海岸に下りてみました。

 波打ち際です。

 波打ち際から見た、港の湯の建物です。真ん中がそうです。

 

 そして帰りは歩いて5分ほどの場所にある「岩城みなと駅」から電車で秋田駅に向かいます。

 

 秋田駅から自宅まではほろ酔い状態で歩き、無事にこの日の全日程が終了です。

 結局この日は17.7kmの行程に2時間18分以上掛かってしまいました。キロ7:50の超スローペースです。

 まあ、急ぐ旅ではありませんので無理はしなかったのですが、ロキソニンを飲んでいるのに思ったよりも持病の右臀部の痛みが強かったことと、海岸沿いにも拘わらずアップダウンが多かったことなどが原因です。

 次の旅ランについては、それらの可能性を考慮に入れて計画を練り直してみたいと思います。

 

秋田市内バス停終点ラン④(下浜名ケ沢※秋田市南部)

 昨日(2/14)は久しぶりに秋田市内バス停終点ランとして平成の大合併前の旧秋田市の最南部に位置する下浜の名ヶ沢からのランを行いました。

 ルートは次のとおりで、一つ森公園から自宅までは1kmちょっとですので20km弱のランです。

 そしてこのルート上には特に立ち寄るべき場所もありませんので、旅ランというよりはゆっくりのジョグになりました。

 名ヶ沢バス停までの移動はバスの乗り継ぎで、まず自宅から秋田駅西口のバス停まではラン、そして秋田駅西口から西部サービスセンターまでは路線バス、さらに西部サービスセンターから名ヶ沢までは秋田市マイタウン・バス(※コミュニティバス)南部線で移動です。

 なお、秋田市では満65歳以上の市民は秋田中央交通が交付する高齢者コインバス専用ICカード「シニアアキカ」を使用することで、秋田中央交通が運行する市内の路線バス(リムジンバス、高速バスを除く)と秋田市マイタウン・バスを1乗車につき100円で乗車することができますので、わずか200円で移動できました。

 終点の名ヶ沢バス停に着きました

 さあ、ここからスタートです。天気は曇りで風は強いのですが、どちらかというと追い風です。

 

 実は、ここに来るまでのバスの車窓から不思議な景色が見えました。バスは田んぼの中の道路を通っていたのですが、突然、大草原の中に入ったように周り一帯がススキで覆いつくされました。

 どうやらそこは田んぼだったようで、そこにこんなにススキが生えているというのはおそらく耕作放棄地になっているのでしょう。ただ、少し先の田んぼには稲刈り後の切り株が見えますので、すべてが耕作放棄地ということでも無いようです。

 いずれにしろ、先人が苦労に苦労を重ねて作った田んぼを荒らさざるを得ない農家さんの無念を思うと胸が痛みます。

 スタートして間もなく、ここにも少しですがススキに覆われた田んぼがありました。

 気を取り直してランに集中しましょう。この日の目標は、ハムストリングス付着部炎による右臀部痛を我慢できる範囲内での最速スピードで走り切ることです。

 最初の1kmはキロ7分弱、次の1kmは標高差50m以上の上り坂があったのでキロ8分ちょっと、その次の1kmは下り坂になったのでキロ6分台前半、その後は2か所の上り坂以外ではキロ6分台後半で走り、トータル19.6kmで所要時間は2:15:53(※信号待ちを除く)、キロ平均6分56秒でした

 20km近くの距離を走ったのは昨年10/3に、同じく秋田市内バス停終点ランで秋田市北部の金足大清水からの19.8kmのラン以来ですが、この時は1:59:06で走っています。

 その時に比べるとタイムも右臀部の具合もかなり悪いのですが、まがりなりにも20km近く走れるようになったことは、まったく走ることが出来ない一時期に比べれば少しは改善傾向にあると思うことにします。

 ただ、2/9の事ですが、鏡を見た時、右目の白目が半分がどす黒く、また半分が真っ赤になっているのを発見し、驚きました。

 すみません!グロが苦手な方はパスしてください。

 ネットで調べたのですが、たぶんこれは結膜下出血のようです。

 結膜下出血は、外傷や眼の繊細な血管が破れるような行為や状況によって引き起こされるようですが、私には特に外傷に心当たりはありません。

 ただ、思い当たることと言えばこのような状態になった日の午前中に、腕立て伏せを私の最多タイの60回を行い、最後の方はだいぶいきんでしまいましたので血圧が急上昇した結果、眼球の血管が破れたのではないかと思っています。

 結膜下出血の多くは、1~2週間で自然に治るようですが、これからは歳をわきまえ、何事もほどほどにしようと思います。

 出来るかな~。

新企画・羽州浜街道ランを始めました(その①刈穂橋~新屋)

 東北における旧街道といえば何と言っても五街道のひとつである「奥州街道」が有名ですが私の住んでいる秋田県を通る旧街道としては福島県奥州街道から分岐し、山形県秋田県を経由し、青森市でまた奥州街道に合流する「羽州街道」があります。

 羽州街道は、多くの大名たちが参勤交代で利用するなど、東北日本海側の大動脈だったのですが、秋田市を通る旧街道としてはこの他に「羽州街道」というものがあることを最近知りました。

 羽州浜街道は、新潟県山形県の県境付近の鼠ヶ関から主に日本海の海岸沿いを北上して秋田市の刈穂橋付近で羽州街道と合流する街道で、こちらは難所も多いため参勤交代に使われることは無く、主に商人や出羽三山への参詣者が利用していたようです。

 現在では当時の道は消滅している所もありますが、出来るだけその近くを通り、往時の面影を偲んでみたいと思います。

 ルートについては街道地図を現在の地図に表示しているものを見つけましたので、その地図を参考にさせていただきます。

gcy.jp

 なお、グーグルマップでも道路に「羽州浜街道」と記載されているところがありますが、一部上記の地図と違っています。

 まあ、諸説あったり時代によっての変化もあるでしょうから、適宜判断して進むこととします。

 ということで、昨日(2/9)はその第一弾として羽州浜街道羽州街道と合流する秋田市旭南二丁目の刈穂橋から秋田市新屋表町までを走りました。

 刈穂橋までは自宅からランです。

 刈穂橋に着きました。

 江戸時代には刈穂橋のたもとに船着場があったそうですが、今も刈穂橋では秋田市の竿燈まつりの終了後に竿の先に付けた御幣(ごへい)を川に流す御幣流しという行事が行われており、当時から秋田藩にとって重要な拠点の一つであったことが窺えます。

 竿燈まつりは、東北三大祭りのひとつに数えられ、厄除けや五穀豊穣を願う行事として江戸時代から行われています。竿燈全体が黄金の稲穂のように揺らめき真夏の夜空を照らす光景は一見の価値がありますので、まだご覧になっていない方は次の動画をご覧ください。

www.bing.com、、

 なお、秋田市の公式You Tubeチャンネルの「羽州街道を往く」によるとこの刈穂橋はまだ羽州街道でさらに50mほど進んだ先の角で羽州街道は右折し、そこで直進するのが今回の企画の対象である羽州浜街道ということになるようです。

 その角には旧松倉家住宅があります。

 松倉家は、寛延2年(1749年)頃に始まる商家で、建物は秋田県登録有形文化財にも指定されている県内屈指の大規模な町家です。

 そして昨年修理工事が完了し、演劇や展覧会のスペースとしても活用されるようになりました。昨日もその準備をしているようでしたので、蔵や部屋の撮影は遠慮しました。

 さあ、いよいよ羽州浜街道ランのスタートです。

 3.5kmほど走り、雄物川に架かる雄物新橋に着きました。

 川幅は200m以上ありそうです。この橋も羽州浜街道のルート上にあるのですが、江戸時代にここに橋を架けることは技術的にも財政的にも困難と思われますので、渡し船でも利用したのでしょうか?

 ただ、よく考えてみるとここには昔は橋は必要ありませんでした。

 というのは、雄物川はかつては河口がもっと北の土崎港というところにあり、洪水防止のため河川改修が行われて1938年(昭和13年)にここから2kmちょっと西に雄物川の新たな河口が出来たのです。つまり、それまではここには川は無かったということになります。

 ですので、この辺の旧雄物川の西側一帯を指していた地名の「新屋」ですが、雄物川の付替え工事によって南北に分断されてしまいました。

 橋を渡ると南側の新屋には昔の町並みが散見されます。

 古い店構えの建物の入口には「酒蔵 酔楽天」と書かれた小さな看板がありましたので、ここが酔楽天という高価な日本酒を造っている秋田酒造㈱なのでしょう。奥の方には酒蔵のようなものも見えました。

 そして、そこから100mちょっと進むと今度は「小金井酒造株式会社」という看板を掲げた古い建物がありました。ここも秋田市では名前が知られた酒蔵です。ただ、建物は現在使われていないようです。帰ってから調べたらもう廃業していました。

 そしてまたその隣にももう一軒、「英雄」という酒を造っていた森川酒造店の酒蔵があったようですが、それはもう建物も解体されその面影はありませんでした。

 新屋地区では湧水が豊富で昔から酒や味噌・醤油の醸造が盛んだったようです。

 小金井酒造の斜め向かいには「大彦味噌醤油醸造」という看板を掲げたこれも町屋風の建物がありました。ここは蔵直営の味噌・醤油販売所になっています。

 そしてそこから20mほど進んだところに「秋田市新屋ガラス工房」がありました。

 この秋田市新屋ガラス工房は羽州浜街道とは何の関係も無いのですが、私はこれまで1回も来たことがありません。せっかくなので行ってみましょう。

 入場無料です。内部にはガラス工芸作家の作品を展示するギャラリーがありました。

 上の作品は「昇龍ゴブレット」という作品で昨日の秋田魁新報にも紹介されていました。
 また、秋田市新屋ガラス工房のホームページにもその制作過程が掲載されています。

www.araya-glass.akita.jp

 どうやらバーナーの熱でガラスを軟化させて龍の形を作っているようですが、型を使わずに作家の技術だけでこのような作品が出来るとは驚きです。

 秋田市ガラス工房を出てから300mほどでこの日の目的地の「汗かき地蔵尊」に着きました。

 このお地蔵さんは、汗をかいて火災や疫病を告げると言われているそうですが、そばにある石碑(※庚申のような文字がかろうじて見えるので庚申塚のようです)を見ると、風化して文字がほとんど見えなくなっていますので、たぶん江戸時代辺りから羽州浜街道を歩く人々を見守っているのでしょう。

 そして羽州浜街道は、この汗かき地蔵尊の向かい側にある道路に入りますが、ここから先は次回のお楽しみとして、後は自宅へ戻りました。

 この日の走行距離は16kmほどで、スピードはキロ7分前後とゆっくりペースなのですが、やはり右臀部に痛みがあり、また久しぶりに10km以上走ったので終盤はかなりバテました。

 それでもなんとかある程度の距離を走れたので、これからは積極的に旅ランを楽しみたいと思っています。

2カ月半ぶりに10km走りました

 今日は実に2カ月半ぶりに10km以上のランを行いました

 場所は、私のホームグラウンドの一つ森公園ジョギングコースです。

 このコースは、100周でちょうどフルマラソンの距離とのことですので、1周は422mほどです。目標は10kmですので24周しなくてはなりません。

 ただ、ハムストリングス付着部炎による右臀部痛は一向に良くなりませんので無理のない範囲内でキロ7分程度から入り、可能であればキロ6分程度まで上げるつもりで走り始めました。

 今日はロキソニンを飲んでいるからか、痛みはあるもののいきなりキロ6分半程度から入ることが出来ました。しかし、ここ数カ月ほとんど練習していないためすぐに息が上がってしまい、なかなかそれ以上には上げられません。

 どうにか24周10.1kmを走り終えたのですが、タイムは1:04:35と予想していた通りの惨憺たるものでした。

 故障の悪化を恐れるあまりに練習をセーブしすぎるとこのような著しい走力の低下を招いてしまいますのでその兼ね合いが難しいところです。

 まあ、当面の目標としては10kmを60分で走れるところまで回復させたいと思っています。

 ところで昨日(2/4)は、別府大分マラソン(通称・別大マラソン)がありましたが、ネットのニュースであのiPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が今年も別大マラソンを走ったということが紹介されていました。

www.msn.com

 実は私もこの別大マラソンを10年前に走っており、年齢もちょうど今の山中教授を同じ61歳でした。

chuukounenrunner.hatenablog.com

 そしてその時のタイムは3:31:38で今年の山中教授の3:22:36よりも9分以上も遅いタイムです。

 まあ、その時の私は故障明けで、しかもレース中に足の裏に大きなマメが出来、それが破れてシューズを血だらけにして走ったというハンデはあるのですが、山中教授も風邪で体調を崩し練習不足で臨んだようで、それでもこのタイムとは驚きです。

 現在はどうか分かりませんが、数年前にTVで山中教授のマラソンへの取り組みを取材した番組が放映され、多忙な仕事の合間の昼休みに10kmほど走っている様子が紹介されました。

 彼のiPS細胞の作製などの業績についてはもちろんのこと、このように趣味においても全力投球する姿には感銘を受けます。

 私もいつの日かランニングに全力投球出来る日が来ることを願いつつ、その日に備えて準備だけは怠らないようにしたいと思っています

コーちゃんのランニング日誌(2024年1月分)

 私の1月のランニング日誌です。

 1月もハムストリングス付着部炎は一向に軽快せず、走れたのはたったの3日だけで距離も合わせて15kmほどでした。痛みが強くて走れない日には出来るだけウォーキングをするようにしましたが、非常に不本意です。

 

 まず、1/4は新しい年を迎えて少し走ってみようと約1カ月ぶりのラン&ウォークを行いました。総距離6.7kmのうちランは5.0kmでした。

chuukounenrunner.hatenablog.com

 

 その後は、また右臀部痛が悪化したため約半月はウォーキングのみにとどめていたのですが、1/20には天気が良かったことから海が見える場所での坂道走を行いました。

 距離は約5kmと短かったのですが、歩きを交えないランニングとしては約2カ月ぶりでした。

chuukounenrunner.hatenablog.com

 

 その後はまた時々ウォーキングをする程度でしたが、1/29には久しぶりに一つ森公園のジョギングコースに行って走ってみました。

 最初はキロ7分台から入って、右臀部に痛みを感じながらも少しずつスピードを上げてキロ6分前後まで上げましたが、痛みが強くてそれ以上には上げられません

 結局この日の走行距離は5kmほどでしたが、次の日にもダメージが残り、右臀部痛がまた悪化したようです

 どうやらこれまでの経験から一度走ると決まって痛みが悪化し、そのダメージから回復するまでには4~5日掛かるようです。

 となると走力を回復するどころか、初心者以下になったこの現状を維持するのがやっとでしょう。

 それでも走れるだけでまだ幸せと思い、これからも可能な限りランニングを続けて行きたいと思っています

 

 以上のように思うようにランニングが出来ない日々が続いたため、時間を持て余した私はまた下手な弾き語りに取り組みました

chuukounenrunner.hatenablog.com

chuukounenrunner.hatenablog.com

 

 70歳を過ぎると認知症についても気になり始めます

 ランニングが認知症予防に効果的とはよく言われますが、そのランニングが満足に出来なくなっている今は他の予防策も考えなくてはなりません。

 そして私は、弾き語りは絶好の認知症予防対策ではないかと思っています

 面白い記事を見つけました。歌うと認知症の予防になる、という記事です。

gendai.media

 また、楽器演奏も認知症予防に効果的と言われており、これは演奏時の左右の指の動き等による脳への刺激を考えると当然のことと思われます。

 ということで、これからも新たな曲の弾き語りに挑戦したいと思っています。

 

 雪国の秋田にもあと1か月ほどで春がやって来ます。そのころまでにはもう少し走れるようになっていると良いのですが・・・。

大塚博堂さんの「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」を弾き語りしてみました

 大塚博堂というシンガーソングライターをご存知でしょうか?

 大塚博堂さんは32歳の時(※1976年)、自身が作曲したダスティン・ホフマンになれなかったよ」のヒットで世に知られるようになった遅咲きのシンガーソングライターですが、37歳の時に脳内出血で急逝しました。

 私がリアルタイムで聞いたことがあるのはこの「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」だけですが、布施明さんが歌ってヒットした「めぐり逢い紡いで」なども作曲して歌っていたようです。

 布施明さんというと日本を代表する実力派シンガーですが、大塚博堂さんもとても包容力のある優しい歌声で聴く人を魅了します。

 プロフィールを調べたら、大塚博堂さんは東洋音楽大学(現・東京音楽大学)声楽科中退ということになっていましたので、元々声が良かったのでしょう。

 このような方の歌をcoverするのはかなりハードルが高いのですが、どうせ無理と割り切って歌は不満があったもののテイク2で止めました。(ギターはかなりテイクを重ねました。でも相変わらずうまくいきません。)

 ということで、毎回下手な歌とギターで申し訳ありませんが、よろしければお聴きください。

www.youtube.com

 ブログを始めて3年半、投稿数はこれで400になります。満足に走れなくなってブログのネタにも事欠いている状態ですが、これからもご愛読よろしくお願いいたします。

 

やっぱりランが好き!(海が見える坂道走)

 昨日(1/20)は、冬の秋田にしては珍しく天気が良かったので少し走ってみることにしました

 せっかくですので景色を楽しめるようにと秋田市の南西部にある桂浜から大森山展望台までの往復5kmちょっとのコースを考えました。

 桂浜は標高はほぼ0mで大森山展望台は標高123mですので結構な坂道ランです。

 ただ、右臀部痛があるので途中で走れなくなったらウォーキングに切り替えるつもりでした。

 まずは、自宅から11kmほど離れた桂浜海水浴場に車で向かいます。なぜか道路が混んでおり、40分ほど掛かってようやく着きました。

 海水浴場と言っても冬ですので誰もいません。遠くにはうっすらと男鹿半島が見えます。

 ここから大森山展望台に向かいます。

 羽州浜街道を1kmちょっと北に進むと市の保存樹となっている黒松がありました

 この右にある細い道を上ると大森山展望台に行けるはずです。

 その道の入口に面白いものを見つけました。

 町内会の掲示板のようなものに何か貼り紙があります。

 「ひざ・こし痛みの二刀流 頑張るあなたはM・V・P」と書いています。

 思うにこれは、この先の道は大森山への散歩コースとして町内の方々に親しまれており、その人たちを元気づけるために書かれたものではないでしょうか?

 実際私もこの坂道でウォーキングをしている方に2回会いました。

 臀部痛に悩まされている私もこの貼り紙に元気をもらって先に進みます。

 この後、上りはますます急になり、キロ9分台のほとんど歩くようなペースになりました。そして、心肺機能も衰えているようで呼吸が少し苦しくなりました。

 

 ようやく大森山展望台に到着です。

 

 東側には市街地と太平山の山並みが見えます。

 

 また、北側には昨年開園50周年を迎えた大森山動物園にある観覧車や海岸沿いに立ち並ぶ風力発電の風車が見えます。

 

 西側日本海です。陽がだいぶ西に傾いて来ました。

 

 そして南側にはうっすらと鳥海山が見えました。

 

 さて、帰りは下りです。とは言え傾斜が急すぎてスピードは出せません。羽州浜街道まで戻るとほぼ平坦になりますので、そこからはキロ6分半程度で走りました。

 車を置いてある桂浜海水浴場に着きました。夕陽が日本海に沈むところを写真に撮ろうと待っていましたが、水平線上には雲が掛かっていてそれは無理のようでしたので、諦めてその前に撮ったのが次の写真です。

 結局この日は標高差123m、5.3kmの距離を38分52秒、キロ7分20秒で走りました

 右臀部の痛みはロキソニンを服用したおかげでやや緩和されたのか、我慢できないほどのものではありませんでした。

 そして走り終えてからは、久々に味わう達成感・充実感で幸せな気持ちに浸ることが出来ました。

 尾崎豊さんの「僕が僕であるために」という歌の歌詞に「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」という一節がありますが、私にとっては「僕が僕であるために走り続けなきゃならない」と言えそうです

 まともに走れなくなってこの半年、いわばアイデンティティを喪失したかのような気持ちになってしまっていますが、これからも諦めることなく少しずつでも走り続けたいと思います。