ある中高年ランナーの悪あが記

長引くハムストリングス付着部炎に悩まされながらも走ることを諦めきれない高齢者ランナーの奮闘記

羽州浜街道ラン&ウォーク③(道の駅岩城~羽後本荘駅)

 だいぶご無沙汰しておりましたが、昨日(3/16)は羽州浜街道ランの第3弾として由利本荘市道の駅岩城から羽後本荘駅までのラン&ウォークを行いました。

 まずは今回のスタート地点である道の駅岩城まで車で向かいます。

 道の駅岩城に到着しました。天気はまあまあ。少し風が強いので波も高くなっています。

 でも、この日はここから南に向かいますので追い風となります。

 ただ、鵞足炎(?)による左膝の痛みなどにより、この10日ほどは全く走っていないのでこの日予定している20km余りのコースを走り切る自信はありません。

 そこで最近よくやっているように1km走って1km歩くということを繰り返すラン&ウォークで進むことにします。

 

 5kmほど走り(歩き)、国道7号線から松ヶ崎の集落に入ります。

 何か羽州浜街道の痕跡は無いものか探していたところ、道路脇の墓地のそばに地蔵堂があるのを見つけました。

 ちょうどその地蔵堂を掃除している年配の女性がいらしたのでここは羽州浜街道だったのか聞いてみたところ、良く分からないが昔からの道路で以前は国道だったとのことでした。そして現在の国道7号線がある場所は以前は田んぼだったとのことですので、まあ間違いないでしょう。

 

 その後は国道7号線と海岸沿いの集落の中の道を進んだのですが、芹川という集落では家々の敷地の海側には板で高い塀を造っていました

 逆光で良く見えないですね。反対側からも写します。

 秋田県日本海からの風が強いため風力発電導入量は全国第2位となっていますが、由利本荘地区では海岸に面して建っている家はその風から家屋を守るため、ほとんどがこのように板などで覆われているようです。

 

 また7号線に戻り南に進んでいると「夕陽の見える日露友好公園」の看板がありました。この看板はこれまでも気にはなっていたのですが、一度もこの公園に行ったことはありません。

 7号線に隣接しているポケットパークのようですので立ち寄ってみましょう。

 石碑には「露国遭難漁民慰霊碑」と書かれています。

 そして隣にある説明板によると、昭和7年にここ深沢海岸にロシアの漁船が漂着し、深沢の住民が4名の乗組員の救助を行ったが、うち1名は既に死亡していた。他の3名は住民からの食事や介護を受けて元気を取り戻し、3日後には敦賀経由で帰国した。死亡した1名に対しては地域の共同墓地に十字架を立てて懇ろに埋葬された、とのことです。

 そしてまた60年後の平成4年には、秋田県の内外からの厚志によりこの「夕陽の見える日露友好公園」と「露国遭難漁民慰霊碑」が完成し、ロシアとの交流を推し進めている、とのことが書かれていました。

 国境を越えて命の尊厳の大切さを示したこれらの行為には感動を覚えます。

 自らの野望のため人命を奪い続けているどこかの国の独裁者には、この話を聞かせてやりたい!

 

 羽州浜街道はその後も7号線を3.5kmほど南に進んでから7号線を離れて市街地に向かいます。

 特に旧街道の面影はありませんが、途中で太平山三吉神社の石碑がありました。

 太平山三吉神社秋田市総本宮があるのですが、北海道、東北各地それにブラジルのサンパウロにもその分霊が祀られている神社があり、石碑や祠も数多くあるそうです。この石碑もだいぶ古い物のようですので、この道も古くからあったのでしょう。

 

 そして羽州浜街道は由利橋で子吉川を渡るのですが、その前に少しだけ羽州浜街道を離れて本荘郷土資料館に立ち寄りたいと思います。

 ここへ来た目的は次回の羽州浜街道での立ち寄り先の参考になるものを探すことです。

 残念ながら特にこれと言ったものはありませんでしたが、ひとつだけ非常に興味をそそられるものがありました。

 それはこの場所から1kmも離れていない子吉川と芋川の合流地点の河川敷にある「菖蒲崎貝塚」の出土品です。

 菖蒲崎貝塚は、縄文時代早期の貝塚ですが、秋田県ではあまり貝塚が多くない中でこの菖蒲崎貝塚日本海側の貝塚としては最大級のもののようです。

 恥ずかしながら私はここにこのような貝塚があったとは知りませんでした。発掘調査が比較的最近になって行われたこともあるのでしょうが、勉強になりました。

 

 そしてもう一か所、羽州浜街道からほんの少し離れているのですが、国登録有形文化財の「齋彌酒造店」の建物も見学しましょう。

 この建物は明治35年頃に建てられたものですが、二階は洋風にするなど独特のデザインとなっています。

 齋彌酒造店は、最近ではあまり見かけなくなった「由利正宗」と秋田県では人気の「雪の茅舎」という日本酒を製造している会社ですが、この建物の向かい側には齋彌酒造店が経営している「発酵小路 田屋」というカフェもありました。

 昼食がまだだったのでここで昼食にしましょう。

 ランチの塩こうじたまごサンドのセットをいただきました。

 また、店内には土産物コーナーが併設されており、雪の茅舎入りの酒まんじゅうをお土産に買いました。

 食べて見たら他の酒まんじゅうよりも酒の香りが十分に感じられ、美味しかったです。

 後は羽後本荘駅に向かうだけです。100mほど戻って再び羽州浜街道に入り、由利橋を渡ってから300mほど進むと羽州浜街道は右折するようです。

 「羽州浜街道の地図|旧街道モバイルマップ」というサイトによるとここで右折なのですが、グーグルマップによるとここは直進で本荘城のそばを通り、すぐには海岸方向には進まずに内陸部を通って西目漁港の辺りで海岸に出るという全然違うルートになっています。

 どちらを採用すべきか迷うところですが、「出羽街道・浜通り(鶴岡~秋田)を歩く」(※出羽街道浜通り羽州浜街道の別名)というブログでもここを右折のルートを辿っていることからここは右折とします。

 ということでこの日の羽州浜街道ランはここで終わりとし、JR羽後本荘駅に向かいます。

 羽後本荘駅に着きました。

 前回この羽後本荘駅に来た時は駅舎の工事中でしたが、ようやく完成したようですっかり新しくなっていました。

 そして電車で岩城みなと駅に移動し、道の駅岩城に置いてある車に乗って帰宅しました。

 結局この日はランではキロ7分台(10.0km)、ウォークはキロ11分台(10.6km)で何とか無事に終了です。

 ロキソニンを飲んではいたのですが、やはりハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みはあります。ただ心配していた鵞足炎(?)による左膝の痛みはほとんど出現しませんでしたので少し安心しました。

 今後は少しづつ走れる距離を伸ばして旅ランの行動範囲を拡げられたらと思っています。

リハビリランの開始と雪の華の再録音

 持病のハムストリングス付着部炎に加え、先月には鵞足炎(?)も発症したことからしばらくランニングを中止していました

 そしてネットで調べたところ、鵞足炎の場合、一般的には5日から2週間で炎症症状は落ち着くことが多く、その後は徐々に運動量を増やす必要があり、スポーツへの復帰までは1か月ほどかかる、ということです。

 そこで、まずは発症から約半月が過ぎて炎症が治まったことから、今日は久々に一つ森公園のジョギングコースに行ってみました

 その目的は、まずは少しだけ走ってみて、鵞足炎を発症した左膝の様子を見ることです。昨日、2kmほど歩いた時にも特に問題は無かったので、今日はゆっくりランで1kmほど走る予定でした。
 ところが、走り始めてからすぐにハムストリングス付着部炎による右臀部痛が出現し、結局、ジョギングコースを1周(※422m)で止めざるを得ませんでした

 鵞足炎による膝痛は、この程度の距離(422m)とスピード(キロ7分半)であれば大丈夫と分かったのは収穫ですが、一番の大敵であるハムストリングス付着部炎が全く軽快していないことを知り、愕然としています。

 この分では今年もレース出場は無理かもしれません。せめて旅ランだけでも予定通り実施したいものです。

 

 ところで、この鵞足炎でランを控えていたことからいつにも増して暇を持て余し、またもや下手な弾き語りに取り組みました

 曲名は中島美嘉さんの「雪の華です。

 実は、この曲は2年前の1月にYouTubeにアップし、このブログでもご紹介させていただいていたのですが、先日聴き返したところ、サビの部分からどんどん「走って」(※リズムが前のめりになり、だんだんと速くなること)いて、自分でも聞くに堪えないものでした。

 この時はメトロノームも使わずに適当に歌ったためでしょう。

 そこで今回は名誉挽回(?)のため再度チャレンジすることとし、私が使っている無料DAW(※音楽制作ソフト)のCakeWalk by BandLabにあるメトロノーム機能を使って一定のテンポで歌い切ることが目標です。

 ただ、何とかサビ以降の「走り」は抑えられたのですが、聴き返してみるとテンポに気を取られて音程にあまり注意が払われていませんでした。

 ということで名誉挽回にはなりませんが、よろしければお聴きください。

www.youtube.com

 私の住んでいる秋田市は1月、2月と記録的な暖かさであまり雪が降らなかったのですが、3月になってからはその量は多くないものの、毎日のように雪が舞っています。

 今日は、久しぶりに晴天となり、気持ち良く一つ森公園の散策を楽しむことが出来ました。春が待ち遠しい!

 

コーちゃんのランニング日誌(2024年2月分)

 私の2月のランニング日誌です。

 1月は右臀部の痛みがひどく、5kmちょっとを3回だけの計15kmほどしか走れませんでしたが、2月に入り、いつまでもこうしてはいられないと思って2/5には久しぶりに10km走りました。やはり、痛みはあるものの10kmを走れたのは収穫でした。

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 そしてゆっくりであればある程度の距離が走れるようになったことから、2/9には新企画として羽州浜街道ランを開始し、まずは秋田市内の新屋地区までを、往時の面影を探しながら楽しく走りました。

 なお、羽州浜街道は江戸時代初期に整備された秋田市から主に日本海沿岸地域を通り山形・新潟県境の鼠ヶ関までの街道ですが、このランでは宿泊等のために一部でコースから外れますので、それらを合わせると総走行距離は200km以上になる予定です。

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 また、2/14には久しぶりに秋田市内バス停終点ランを行い、秋田市の南部にある下浜名ヶ沢から自宅までの20km弱をほぼノンストップで走りました。

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 そして2/18には羽州浜街道ランの第2弾として、秋田市新屋から由利本荘市にある道の駅岩城までのランを行いました。

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 ところが翌日のことです。軽めに2kmほど走ったのですが、その後、左膝の内側が少し痛み出しました

 ただ、痛みはほんのわずかなものでしたので、まあ歩くくらいなら問題ないだろうと思い、2/21には以前から計画していた一つ森公園の遊歩道等の一筆書きウォークを行いました。

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 歩いた距離は8.8kmとそれほど多くはないのですが、アップダウンが多く累積標高はたぶん300m以上あったでしょう。

 そしておそらくその影響だと思うのですが、その日の夜から左膝の痛みが強くなりました。その症状から鵞足炎と思われます。

 鵞足炎というのは、過度な練習で走り過ぎや膝を曲げるなどにより鵞足部(※膝の下のスネの骨である脛骨の内側の部分)への摩擦が多くなり、そこに付いている縫工筋、薄筋、半腱様筋という筋肉が炎症を起こしている状態です

 もちろん私は過度な練習などはしていないのですが、トレーニングで階段昇降をやり過ぎた場合なども発症の危険性があるようですので、この日の一つ森公園でのアップダウンがその引き金になったのでしょう。

 痛みは10日ほど経った現在、かなり和らいでおり、日常の動きの中で時折少し痛むことはありますが、それも一瞬です。

 鵞足炎は、重症度にもよるが5~14日程度で炎症症状が落ち着く場合が多い、と書かれたネットでの記事もありましたので、まあ、標準的な経過をたどっているようです。

 そしてスポーツ復帰までは1か月程度かかるだろう、とのことですので、もうしばらくはランニングを控えて、まずは平地でのウォーキングから始めて様子を見たいと思います。

 この休養で鵞足炎だけではなく、2年以上悩まされているハムストリングス付着部炎も一緒に治ってくれれば良いのですが(笑)。

ナニコレ珍百景!?(一つ森公園の水が吹き出す街灯)

 ハムストリングス付着部炎による右臀部痛で満足に走れない状態であることはこれまでも再三お話させていただいていますが、加えて数日前から左膝にも痛みがあり、ショックを受けています。

 

 思い当たることと言えば、2/21のことです。多少左膝に違和感があったのですが、走らなければ大丈夫だろうと思って一つ森公園内をウォーキングしました。それもただのウォーキングではなく、広い公園内をほぼくまなく歩くというもので、コースは次の地図の赤の線で示した約8.8kmです。(※それに自宅からの往復を加えると10.3kmになります。)

 しかも平坦地だけの8.8kmではなく、そのコースには未舗装の坂道や階段が多く含まれています。そして国土地理のGSI Mapsで調べてみると、そのコースには標高差20数m~40数mの大きな坂が9か所も含まれていましたので累積標高は300m前後になりそうです。

 私のこの左ひざの痛みは場所等から判断して「鵞足炎」を疑っているのですが、鵞足炎は膝の曲げ伸ばしやひねる動作で、鵞足部(※膝の内側のやや下)と腱や骨が擦れることにより発症するようですので、この時のウォーキングが原因でしょう。

 まずは安静が大事ということですので、痛みが治まるまでしばらくは大人しくしていようと思います

 

 ところで、私はこの日の4日前(2/17)に一つ森公園で不思議な光景を見ました。場所は上の地図に「不思議な街灯」と書いて示している日本庭園のそばの遊歩道です。

 一見すると何の変哲もない街灯ですが、下から50cmほどの場所から水が出ているのがお分かりでしょうか?もっと近づいてみましょう。

 まるで小便小僧のように街灯のポールから勢いよく水が出ています。これはどうしたことでしょう?

 水が出ているということは、どこかから水が供給されなくてはなりません。

 まず考えられることと言えば、何らかの理由でポールの中に水道管が通っていて、その水道管から漏水している可能性ですが、ポールの中に水道管を入れることなどあるのでしょうか?

 次に考えられることは、街灯の上部に穴が開いていて雨水が溜まり、その溜まった雨水が突然溢れ出たという可能性ですが、たとえ溜まった雨水が溢れ出たとしても量は限られていますので、そんなに長い時間は続かないでしょう。

 どうにも不思議でならなかったのですが、先ほどお話した2/21の8.8km公園内ウォーキングの際にもまだ同じように水が出ていました。

 数日前からほとんど雨は降っていないので、やはり雨水ではなさそうです。

 もしも水道管からの漏水だとすると修理しなくてはならないでしょうから、そのウォーキングの途中で一つ森公園事務所が入っている公園の体育館へ立ち寄って係の方へこのことを話し、この写真も見せました。

 その方のお話ではそこに水道管は通っていないとのことでしたので、依然謎は解けません。

 その後は左膝の痛みのため一つ森公園には行っていないので現在どうなっているか分かりませんが、もしまだ水が出ているなら、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」に応募してみようかな?(冗談です。笑)

羽州浜街道ランその②(新屋~道の駅岩城)

 昨日(2/18)は、羽州浜街道ランの第2弾として秋田市新屋から由利本荘市の道の駅岩城までのランを行いました。

 そのルートは次のとおりです。

 まずは、ラン&ウォークで秋田駅まで移動です。

 秋田駅に着きました。

 

 そしてこの日のスタート地点の最寄り駅である新屋駅に電車で移動しました。

 久々に良く晴れましたので気持ち良く走れそうです。

 5分ほど走ると前回もご紹介した汗かき地蔵に着きました。

 

 この汗かき地蔵がスタート地点でこの一方通行の坂を上って行きます。



 それほど急な坂ではありませんが結構上りましたので少し後ろを振り返ってみましょう。



 結局、坂は1km近く続き、上り切った辺り(※秋田市浜田後谷地)にまた地蔵堂がありました。地蔵堂の外にもお地蔵様がありましたが、裏を見ると昭和のような文字が見えたのでそちらは意外に新しいもののようです。



 また地蔵堂には鍵がかかっており、中に入れませんでしたが、窓越しに写させていただきました。



 その先は下りになります。少しですが海も見えます。

 

 浜田地区コミュニティーセンターまで来ると「浜田浜」という案内看板が見えました。秋田市には「浜田浜海水浴場」というマイナーな海水浴場があり、私は一度も行ったことがありません。どんなところかちょっと立ち寄ってみましょう。

 全く人気(ひとけ)がありません。

 1軒だけ見える海の家のような建物も壊れており、営業はしていないようです。

 家に帰ってから調べてみたら、浜田浜海水浴場は浅瀬が少なくなった等の理由で10数年前から海水浴場としての開放はしていないようです。

 

 羽州浜街道に戻り600m程進むと、秋田市保存樹になっているクロマツ(※秋田市浜田滝ノ下)がありました。

 そしてその100mほど先には何やら標柱が立っています。

 「由利郡境御陣所跡」、「滝之下御本陣跡」と書かれています。また、この隣にはもう1本、「秋田藩郷倉屋敷跡」、「浜田尋常小学校跡」、「相原宗家拝領屋敷跡」と書かれた標柱もありました。

 

 さらにその先50~60m先にはまた地蔵堂がありました。この場所は、浜田滝ノ下です。

 庚申塚もあります。

 

 羽州浜街道はこの先1.5kmほど南下して国道7号線を横断するのですが、その辺には信号も横断歩道も無いので渡るのは危険です。

 そこでその少し手前(桂浜海水浴場の入口付近)で歩行者用の地下道を潜って7号線の反対側に出ました。ここから先は初めて通る道です、

 境川に架かる小さな橋を渡るとなにやら標柱があります。文字が消えかかっていますが「桂根藩境跡」と書かれているようです。

 どうやらここは久保田藩秋田藩)と岩城亀田藩の藩境だったようです。

 桂根の集落の中をしばらく走ると踏切があり、国道7号線の旧道に出ました。

 現在は2020年に開通したバイパス道路の下浜サンセットロード(現在の国道7号線)のおかげでこの旧道はだいぶ交通量が少なくなりましたが、バイパス道路の開通前は国道が下浜地区の真ん中を通っており横断歩道も少ないため、まさに集落が分断された状態でした。

 

 旧国道を4.6kmほど進み、国道7号線に合流しました。300mちょっと進むと雪川橋という小さな橋があり、ここが秋田市由利本荘市の境界です。橋の上から見える海を写しました。

 

 そこから1.3kmほど7号線を進み、国道を離れて岩城勝手という昔からの集落に入ります。

 岩城勝手の新谷という地区でまたお地蔵様を見つけました。なぜか街道沿いではなく、街道から2~3mほど小路に入ったところにありました。

 お地蔵様は、道路や交差点に立っている場合が多いようですが、これらの場所は旅人や通行人が頻繁に通る場所であり、お地蔵様はそこで旅人を守護し、安全な旅を促す役割を果たしているのだそうです。

 お寺などに立っているお地蔵様は別として、このようにお地蔵様が道路脇に立っているということはそこが人々が盛んに往来する場所だったということを示しており、ここが羽州浜街道だった可能性が高そうです。

 そしてその後、7号線を横断して再び集落に入ると、岩城勝手の川向という地区でまたお地蔵様を発見しました。

 この日はこれで5か所目です。まるでお地蔵様探訪ツアーですね(笑)。

 再び7号線を横断して内道川という地区の集落を過ぎると7号線沿いにこの日の目的地である「道の駅岩城」が見えてきました。7号線の側道を通って道の駅岩城到着です。



 そしてここが温泉施設の「港の湯」です。

 入浴料は、大人の場合、由利本荘市民は「3時間券450円、1日券550円」でその他の秋田県民は「3時間券500円、1日券600円」そして秋田県民以外は「3時間券650円、1日券700円」と複雑です。

 ただ、それは自己申告であり、住所を証明する物も必要なく、また滞在時間のチェックもありません。性善説に基づいたシステムのようです(笑)。

 

 温泉を楽しんだ後、大広間でリラックスしながら昼食とビールをいただき、その後、建物の裏側の海岸に下りてみました。

 波打ち際です。

 波打ち際から見た、港の湯の建物です。真ん中がそうです。

 

 そして帰りは歩いて5分ほどの場所にある「岩城みなと駅」から電車で秋田駅に向かいます。

 

 秋田駅から自宅まではほろ酔い状態で歩き、無事にこの日の全日程が終了です。

 結局この日は17.7kmの行程に2時間18分以上掛かってしまいました。キロ7:50の超スローペースです。

 まあ、急ぐ旅ではありませんので無理はしなかったのですが、ロキソニンを飲んでいるのに思ったよりも持病の右臀部の痛みが強かったことと、海岸沿いにも拘わらずアップダウンが多かったことなどが原因です。

 次の旅ランについては、それらの可能性を考慮に入れて計画を練り直してみたいと思います。

 

秋田市内バス停終点ラン④(下浜名ケ沢※秋田市南部)

 昨日(2/14)は久しぶりに秋田市内バス停終点ランとして平成の大合併前の旧秋田市の最南部に位置する下浜の名ヶ沢からのランを行いました。

 ルートは次のとおりで、一つ森公園から自宅までは1kmちょっとですので20km弱のランです。

 そしてこのルート上には特に立ち寄るべき場所もありませんので、旅ランというよりはゆっくりのジョグになりました。

 名ヶ沢バス停までの移動はバスの乗り継ぎで、まず自宅から秋田駅西口のバス停まではラン、そして秋田駅西口から西部サービスセンターまでは路線バス、さらに西部サービスセンターから名ヶ沢までは秋田市マイタウン・バス(※コミュニティバス)南部線で移動です。

 なお、秋田市では満65歳以上の市民は秋田中央交通が交付する高齢者コインバス専用ICカード「シニアアキカ」を使用することで、秋田中央交通が運行する市内の路線バス(リムジンバス、高速バスを除く)と秋田市マイタウン・バスを1乗車につき100円で乗車することができますので、わずか200円で移動できました。

 終点の名ヶ沢バス停に着きました

 さあ、ここからスタートです。天気は曇りで風は強いのですが、どちらかというと追い風です。

 

 実は、ここに来るまでのバスの車窓から不思議な景色が見えました。バスは田んぼの中の道路を通っていたのですが、突然、大草原の中に入ったように周り一帯がススキで覆いつくされました。

 どうやらそこは田んぼだったようで、そこにこんなにススキが生えているというのはおそらく耕作放棄地になっているのでしょう。ただ、少し先の田んぼには稲刈り後の切り株が見えますので、すべてが耕作放棄地ということでも無いようです。

 いずれにしろ、先人が苦労に苦労を重ねて作った田んぼを荒らさざるを得ない農家さんの無念を思うと胸が痛みます。

 スタートして間もなく、ここにも少しですがススキに覆われた田んぼがありました。

 気を取り直してランに集中しましょう。この日の目標は、ハムストリングス付着部炎による右臀部痛を我慢できる範囲内での最速スピードで走り切ることです。

 最初の1kmはキロ7分弱、次の1kmは標高差50m以上の上り坂があったのでキロ8分ちょっと、その次の1kmは下り坂になったのでキロ6分台前半、その後は2か所の上り坂以外ではキロ6分台後半で走り、トータル19.6kmで所要時間は2:15:53(※信号待ちを除く)、キロ平均6分56秒でした

 20km近くの距離を走ったのは昨年10/3に、同じく秋田市内バス停終点ランで秋田市北部の金足大清水からの19.8kmのラン以来ですが、この時は1:59:06で走っています。

 その時に比べるとタイムも右臀部の具合もかなり悪いのですが、まがりなりにも20km近く走れるようになったことは、まったく走ることが出来ない一時期に比べれば少しは改善傾向にあると思うことにします。

 ただ、2/9の事ですが、鏡を見た時、右目の白目が半分がどす黒く、また半分が真っ赤になっているのを発見し、驚きました。

 すみません!グロが苦手な方はパスしてください。

 ネットで調べたのですが、たぶんこれは結膜下出血のようです。

 結膜下出血は、外傷や眼の繊細な血管が破れるような行為や状況によって引き起こされるようですが、私には特に外傷に心当たりはありません。

 ただ、思い当たることと言えばこのような状態になった日の午前中に、腕立て伏せを私の最多タイの60回を行い、最後の方はだいぶいきんでしまいましたので血圧が急上昇した結果、眼球の血管が破れたのではないかと思っています。

 結膜下出血の多くは、1~2週間で自然に治るようですが、これからは歳をわきまえ、何事もほどほどにしようと思います。

 出来るかな~。

新企画・羽州浜街道ランを始めました(その①刈穂橋~新屋)

 東北における旧街道といえば何と言っても五街道のひとつである「奥州街道」が有名ですが私の住んでいる秋田県を通る旧街道としては福島県奥州街道から分岐し、山形県秋田県を経由し、青森市でまた奥州街道に合流する「羽州街道」があります。

 羽州街道は、多くの大名たちが参勤交代で利用するなど、東北日本海側の大動脈だったのですが、秋田市を通る旧街道としてはこの他に「羽州街道」というものがあることを最近知りました。

 羽州浜街道は、新潟県山形県の県境付近の鼠ヶ関から主に日本海の海岸沿いを北上して秋田市の刈穂橋付近で羽州街道と合流する街道で、こちらは難所も多いため参勤交代に使われることは無く、主に商人や出羽三山への参詣者が利用していたようです。

 現在では当時の道は消滅している所もありますが、出来るだけその近くを通り、往時の面影を偲んでみたいと思います。

 ルートについては街道地図を現在の地図に表示しているものを見つけましたので、その地図を参考にさせていただきます。

gcy.jp

 なお、グーグルマップでも道路に「羽州浜街道」と記載されているところがありますが、一部上記の地図と違っています。

 まあ、諸説あったり時代によっての変化もあるでしょうから、適宜判断して進むこととします。

 ということで、昨日(2/9)はその第一弾として羽州浜街道羽州街道と合流する秋田市旭南二丁目の刈穂橋から秋田市新屋表町までを走りました。

 刈穂橋までは自宅からランです。

 刈穂橋に着きました。

 江戸時代には刈穂橋のたもとに船着場があったそうですが、今も刈穂橋では秋田市の竿燈まつりの終了後に竿の先に付けた御幣(ごへい)を川に流す御幣流しという行事が行われており、当時から秋田藩にとって重要な拠点の一つであったことが窺えます。

 竿燈まつりは、東北三大祭りのひとつに数えられ、厄除けや五穀豊穣を願う行事として江戸時代から行われています。竿燈全体が黄金の稲穂のように揺らめき真夏の夜空を照らす光景は一見の価値がありますので、まだご覧になっていない方は次の動画をご覧ください。

www.bing.com、、

 なお、秋田市の公式You Tubeチャンネルの「羽州街道を往く」によるとこの刈穂橋はまだ羽州街道でさらに50mほど進んだ先の角で羽州街道は右折し、そこで直進するのが今回の企画の対象である羽州浜街道ということになるようです。

 その角には旧松倉家住宅があります。

 松倉家は、寛延2年(1749年)頃に始まる商家で、建物は秋田県登録有形文化財にも指定されている県内屈指の大規模な町家です。

 そして昨年修理工事が完了し、演劇や展覧会のスペースとしても活用されるようになりました。昨日もその準備をしているようでしたので、蔵や部屋の撮影は遠慮しました。

 さあ、いよいよ羽州浜街道ランのスタートです。

 3.5kmほど走り、雄物川に架かる雄物新橋に着きました。

 川幅は200m以上ありそうです。この橋も羽州浜街道のルート上にあるのですが、江戸時代にここに橋を架けることは技術的にも財政的にも困難と思われますので、渡し船でも利用したのでしょうか?

 ただ、よく考えてみるとここには昔は橋は必要ありませんでした。

 というのは、雄物川はかつては河口がもっと北の土崎港というところにあり、洪水防止のため河川改修が行われて1938年(昭和13年)にここから2kmちょっと西に雄物川の新たな河口が出来たのです。つまり、それまではここには川は無かったということになります。

 ですので、この辺の旧雄物川の西側一帯を指していた地名の「新屋」ですが、雄物川の付替え工事によって南北に分断されてしまいました。

 橋を渡ると南側の新屋には昔の町並みが散見されます。

 古い店構えの建物の入口には「酒蔵 酔楽天」と書かれた小さな看板がありましたので、ここが酔楽天という高価な日本酒を造っている秋田酒造㈱なのでしょう。奥の方には酒蔵のようなものも見えました。

 そして、そこから100mちょっと進むと今度は「小金井酒造株式会社」という看板を掲げた古い建物がありました。ここも秋田市では名前が知られた酒蔵です。ただ、建物は現在使われていないようです。帰ってから調べたらもう廃業していました。

 そしてまたその隣にももう一軒、「英雄」という酒を造っていた森川酒造店の酒蔵があったようですが、それはもう建物も解体されその面影はありませんでした。

 新屋地区では湧水が豊富で昔から酒や味噌・醤油の醸造が盛んだったようです。

 小金井酒造の斜め向かいには「大彦味噌醤油醸造」という看板を掲げたこれも町屋風の建物がありました。ここは蔵直営の味噌・醤油販売所になっています。

 そしてそこから20mほど進んだところに「秋田市新屋ガラス工房」がありました。

 この秋田市新屋ガラス工房は羽州浜街道とは何の関係も無いのですが、私はこれまで1回も来たことがありません。せっかくなので行ってみましょう。

 入場無料です。内部にはガラス工芸作家の作品を展示するギャラリーがありました。

 上の作品は「昇龍ゴブレット」という作品で昨日の秋田魁新報にも紹介されていました。
 また、秋田市新屋ガラス工房のホームページにもその制作過程が掲載されています。

www.araya-glass.akita.jp

 どうやらバーナーの熱でガラスを軟化させて龍の形を作っているようですが、型を使わずに作家の技術だけでこのような作品が出来るとは驚きです。

 秋田市ガラス工房を出てから300mほどでこの日の目的地の「汗かき地蔵尊」に着きました。

 このお地蔵さんは、汗をかいて火災や疫病を告げると言われているそうですが、そばにある石碑(※庚申のような文字がかろうじて見えるので庚申塚のようです)を見ると、風化して文字がほとんど見えなくなっていますので、たぶん江戸時代辺りから羽州浜街道を歩く人々を見守っているのでしょう。

 そして羽州浜街道は、この汗かき地蔵尊の向かい側にある道路に入りますが、ここから先は次回のお楽しみとして、後は自宅へ戻りました。

 この日の走行距離は16kmほどで、スピードはキロ7分前後とゆっくりペースなのですが、やはり右臀部に痛みがあり、また久しぶりに10km以上走ったので終盤はかなりバテました。

 それでもなんとかある程度の距離を走れたので、これからは積極的に旅ランを楽しみたいと思っています。