ある中高年ランナーの悪あが記

長引くハムストリングス付着部炎に悩まされながらも走ることを諦めきれない高齢者ランナーの奮闘記

コーちゃんのランニング日誌(2024年3月分)

 私の3月のランニング日誌です。

 3月は、前月に発症した鵞足炎(?)により前半はランニングを控えました。

 鵞足炎による左膝内側の痛みは走ってもあまり感じない程度にはなっていたのですが、階段の上り下り(※特に下り)や膝を折る時などは痛みますので、悪化しないよう大事を取っていたのです。

 3/6には試しにちょっと走ってみようとリハビリランを試みたのですが、鵞足炎の痛みが出る前にハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みが強くて400mほどで走るのを止めてしまいました

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 しかし、いつまでもこうしてはいられないので、3/16には羽州浜街道ランの第3弾を実施しました。道の駅岩城から羽後本荘駅までで、距離は20kmもあります。

 ただ、鵞足炎への不安があり、またハムストリングス付着部炎の痛みも軽快していないことからとても走り切るのは無理と判断し、1km走って1km歩くというラン&ウォークで何とか無事にこの日の予定を終了しました。

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 ハムストリングス付着部炎といえば、3/22には久しぶりに整形外科を受診しました。

 そして先生には、今処方されている湿布薬では効き目が弱いことと胃潰瘍は既に完治して胃腸科の先生からは胃薬を飲みながらであればロキソニンを飲んでも良いと言われていることを告げて、ロキソニンの内服薬を処方してもらえないかお願いしました。

 すると先生からは「では、1日3錠で2週間分出しておきましょう。胃薬も出しておきます。」と言われました。

 私はロキソニンは1日2錠までと思っていたのでびっくりして「3錠飲んで大丈夫ですか?」と聞いたところ、痛みが1日中続くときは3錠飲んでください。でもあまり飲むと胃を悪くするので、そうでなければ1日に1~2錠にしてください。」とのことでした。

 ということでロキソニン(※正確に言えばロキソニンジェネリックです)がお安く42錠も入手出来ました。ただ、胃薬を飲みながらと言ってもやはり胃潰瘍の再発が心配ですのでとりあえずは1日1錠までにしようと思います。

 そしてロキソニンを常用するようになってからは少しハムストリングス付着部炎の痛みが少しだけ軽くなったような気がして、短い距離ながらも出来るだけ毎日走ることにしました。

 

 3/24には羽州浜街道ランの第4弾として羽後本荘駅からにかほ市までのランを行いました。この日はハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みが軽かったため約16kmを写真撮影を除いてほぼノンストップで、キロ6分台の前半で走ることが出来ました。

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 そして、3/28には羽州浜街道ランの第5弾としてにかほ市潮風公園から上浜駅までのランを行いました。この日のルートには街道沿いに見どころが多く、時間が足りなかったのが残念です。

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 このように3月は後半になってからようやく少し走れる状態になりましたが、ここで繰り返しにはなりますが、もう一度、私の現在の体調等について整理してみます

 まず何と言っても私の最大の懸案事項は、発病以来2年5カ月続くハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みですが、ロキソニンを服用すればキロ6分台のゆっくりペースならば何とか走れるようになって来ました。

 また、2月下旬に発症した鵞足炎(?)ですが、こちらは3月中旬から走りにはあまり影響が無くなり、現在は膝を折る時に痛みがある程度ですので完治が近そうです。

 あと、これは走りにはあまり影響無いのですが、3月上旬から左の脇腹(※肋骨の下部の表面)に痛みを感じるようになりました。

 左脇腹の痛みの原因には胃や膵臓など内臓の病気も考えられるようですが、私の痛みは特定の動きをした時に痛むものであり、また表面ですので自分では例えば腹斜筋などの筋肉を痛めたものと思っています。

 ただ膵炎など膵臓の病気は心配ですので脇腹が痛くなってからは酒を控えるようにしています。なにしろ50年ほどほとんど毎日飲み続けたので膵臓や肝臓に負担が掛かっているのは間違いないでしょう。

 酒を止めて困っているのは、夜になかなか寝付けないことです

 これまでは酒を飲んで寝るため2~3分で入眠出来ていたのですが、酒を飲まないで寝ると最低でも1~2時間、場合によっては明け方まで寝付けません。

 まあ私は毎日が日曜日ですので睡眠不足でも仕事に影響する訳でも無く、特に大きな弊害というわけでもないでしょう。

 それにこれまでは夜中に必ず1~2回はトイレに起きて、その後はなかなか眠れないことも多かったのですが、酒を飲まなくなってからはほとんど夜中にトイレに起きることは無くなりました。

 そして左脇腹の痛みはあまり気にならないくらいに良くなって来ていますが、飲酒の再開についてはもう少し様子を見てからにしたいと思います。

 

 例年よりは遅いものの、各地から桜の開花の便りが届いています。私の住む秋田市でもあと10日ほどで開花しそうですので、好天の下、桜を眺めながら走るのが楽しみです。

羽州浜街道ランその⑤(潮風公園~上浜駅 ※象潟観光)

 一昨日(3/28)は、羽州浜街道ランの第5弾としてにかほ市潮風公園から上浜駅までのランを行いました。

 ルートは次のとおりです。

 まずは、今回も前回同様に潮風公園に車を置きます。

 

 そして前回来た羽州浜街道沿いの飛良泉本舗に着きました。ここから今回の羽州浜街道ランのスタートです。

 

 スタートしてすぐに「TDK歴史みらい館」がありました。

 TDKはかつてはカセットテープやビデオテープを製造していた大手電子部品メーカーです。旧街道を辿り、往時の面影を探しながら走る、というこのランの趣旨とは若干異なりますが、予定より早くスタートしましたので時間調整を兼ねて見学しました。

 ただ、今回のランは見どころが多く、長文になりそうなので見学の詳細は割愛します。

 海岸沿いの道路を西に700mほど進むと漁港のそばに大きな石碑がありました。

 「舩玉大神」と刻まれています。「船玉(船霊)」とは、船や乗船者の守護神とされ、航海関係者に信仰される神様のようです。明治4年に建てられた石碑のようで「海上安全」とも刻まれていました。

 

 そこから更に西に1.2kmほど進み、高昌寺というお寺の入口の角に地蔵堂が2つ並んでいました。

 そしてそこには「禁葷酒(きんくんしゅ)」と書かれた石柱がありました。

 「禁葷酒」とは、辛味や臭気など刺激の強い野菜と酒の持ち込みを禁ずる、ということのようです。

 

 さらに300mほど西に進み白雪川の河口付近に架かる白雪橋に来ました。橋から見た日本海です。

 また、反対側を見ると鳥海山が綺麗に見えます。

 

 橋を渡り200mちょっとで稲荷神社に着きました。

 この稲荷神社は、慶應4年に戊辰戦争により社殿が焼失して明治2年に再建されたものとのことです。

 稲荷神社の裏側は芹田岬になっていますので寄り道しましょう。

 

 さて、これからは南に進みます。国道7号線を横切ってすぐの集落に入る道路の入口に大きな石碑がありました。

 「牛頭天王(ごずてんのう)」と刻まれています。牛頭天王は、京都の感神院祇園社(現 八坂神社)の祭神で、牛頭天王の神格については様々な説があり定説は確立していないようですが、いずれにしろ疫病を司る神とされていたようです。

 確かに石碑の裏には「元治元 子歳六月吉日」と「村中安全」の文字が見えますので1864年に住民の安全を願って建てられたものでしょう。

 

 その後も南下を続け「勢至(せいし)公園」に着きました。

 勢至公園は、秋田県内で最も早く桜が開花する名所として知られている公園ですが、

さすがにまだ桜は咲いていません。白い梅(?)は咲き始めていました。



 勢至公園を出て金浦港のそばに来ると高台の中腹に何やら石仏らしきものが見えます。行ってみましょう。

 どうやら海難者を供養する石仏のようです。

 左(※上の写真の1枚目)の石仏は元文2年(1737年)の海難者86名を供養したもの、中央(※上の写真の2枚目左側)の石仏は慶応元年(1865年)の海難者34名、そして右(※上の写真の2枚目右側)の石仏は明治19年1886年)の海難者4名と明治25年の海難者10名の供養碑ということです。

 

 この高台は津波の際の避難所にもなっているとのことです。上まで行ってみました。金浦港が見えます。

 予定に無い行動が多く、だいぶ時間が押してきましたので先を急ぐことにします。

 予定していた道の駅象潟での休憩をパスして「坩満寺(かんまんじ)」の入口に着きました。

 坩満寺は、仁寿3年(853年)に天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられていますが、古くから文人墨客が訪れた名刹として知られ、元禄2年(1689年)には松尾芭蕉も訪れています。

 入口の手前を左に進むと芭蕉があります。

 そしてその向かい側には西施(せいし)像があります。

 西施は、中国の春秋時代の越の美女ですが、なぜ坩満寺にこのような像があるのでしょうか?

 その謎は西施の像の説明板を見て解けました。

 芭蕉はこの坩満寺を訪れた際に、「象潟や 雨が西施に ねぶの花」という句を詠んでいるんですね。

 

 ところで象潟は昔は広範囲に潟湖になっており、潟湖に島々が浮かぶ風光明媚な景勝地でした。そして芭蕉が訪れたころの坩満寺はその湖畔になっていたそうです。

 ところが、1804年に発生した象潟地震により湖底が約2m隆起し、湖の大部分が干上がって現在は田んぼの中に島が点在するような景色になっています。

 こんな感じで、「九十九島」と呼ばれています。

 では、坩満寺に行ってみましょう。

 ここが山門です。

 

 そして本堂です。



 庭園に入ると「親鸞聖人御腰石」がありました。

 ただ、これは親鸞がこの地に来たのではなく、肥前島原の西方寺にあった親鸞が腰掛けたとされる石を安永6年(1777年)に切支丹ノ変を避けるために信者が蝦夷地に輸送中にシケにあい、象潟に陸揚げしてここに納めたものと言われているようです。

 

 そして芭蕉の句碑もありました。

 

 また、昔はこの坩満寺が湖畔になっていたことの名残でしょう。「舟つなぎ石」というものもありました。

 このほかご紹介したいものはたくさんあるのですが、長くなりますのでこの辺にします。

 予定通りの時刻に坩満寺を出て再び羽州浜街道を進みます。象潟ではところどころに「きさかたさんぽみち」という標柱が立って道案内をしてくれます。

 標柱のすぐそばには「猿田彦」と書かれた石碑と祠それに石仏がありました。

 「猿田彦」の名前は聞いたことが無かったので調べたところ、神話に登場し、猿とも天狗ともいわれる怪奇な風貌をしている導きの神、道の神だそうです。猿田彦を祭神とする神社は全国に二千余社あるそうですので、もしかしてこれまでも見たことがあったのかもしれません。

 

 なおも街中を進むとレトロな洋風の建物がありました。象潟公会堂です。

 昭和9年に建設され、今もコンサートホールとして現役で活用されているようです。

 

 そして象潟公会堂の入口付近には「紅蓮尼生誕地跡」ということで紅蓮という尼さんの石碑と紅蓮さんの物語が書かれた説明板がありました。ここの紅梅は開花が進んでいました。

 

 この辺は寺や神社が数多くあるのですが、この後に乗る電車の出発の時刻が迫ってきているので立ち寄る訳にはいきません。

 ただ、途中で「古四王神社」という名前を見つけました。

 私の住む秋田市にも古四王神社という神社がありますが、秋田市の古四王神社と関係があるのでしょうか?

 説明板には、ここの神社は秋田市の古四王神社に分霊をお願いして建立したものとされていると書かれていました。



 さあ、あとは寄り道しないでまっすぐに進みましょう!

 ただ、終盤になると疲れが出てなかなかスピードが出ません。キロ6分台の後半になってしまいました。

 国道7号線に入って南に進み、上浜駅への入口に来ました。ここが次回の旅ランのスタート地点です。

 

 上浜駅に着きました。なんとか発車時刻の5分前に到着です。

 そしてJRで車を置いてある潮風公園の最寄り駅である仁賀保駅まで移動し、潮風公園から自宅まで車で戻ってこの日の旅ランは終了しました。

 この日の走行距離は19.1kmで、ロキソニンを飲んでもハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みはありますが、旅ランの楽しさが痛みより勝っている感じがありますので、これからも旅ランを続けられそうです

羽州浜街道ランその④(羽後本荘駅~潮風公園)

 昨日(3/24)は、羽州浜街道ランの第4弾として羽後本荘駅からにかほ市平沢にある潮風公園までの旅ランを行いました。

 そのルートは次のとおりです。

 まずはゴール地点の潮風公園に車で向かいます。

 潮風公園に着きました。平沢漁港の隣にある芝生に覆われた公園で海が見えます。

 ここから500mほど離れた仁賀保駅まで歩きますが、途中で古い洋館を見つけました。家に帰ってから調べたところ、これは旧松野医院1920年(大正8年)に建てられ2011年に閉院したとのことです。

 

 仁賀保駅に着きました。ここから羽後本荘駅へJRで移動です。



 羽後本荘駅の通路からは鳥海山が良く見えました。天気は晴れで風も弱く絶好の旅ラン日和です。

 ここからまずは羽州浜街道まで走ります。

 1.2kmほど走って前回の旅ランで訪れた地点まで来ました。ここで右に進みます。



 600mほど西に進むと何やら櫓のようなものがあるお寺がありました。

 善応寺というようです。

 ネットで調べたところ、善応寺は「1466年に建立され、1598年にこの古雪町が開拓された時に羽州浜街道沿いの現在地に移転した」とされているようですので、ここが羽州浜街道だったことは間違いが無いようです。

 また櫓のようなものは太鼓堂で、仏事で使用する太鼓を備えた建物のようです。

 

 善応寺には鐘楼もありました。

 

 さらに400mほど西に進むと看板のようなものがありました。

 よく見るとこれは古雪湊と古雪御蔵の解説板でした。ここは子吉川の川沿いですが、解説板によると江戸時代には日本海を航行する北前船が停泊する古雪湊があり、いろいろな物資の流通と共に「おおきに」とか「なんぼ」といった上方言葉も伝えられた、と書かれています。

 私の住む秋田の方言でも「いくら、どれほど」という意味で「なんぼ」という言葉が使われていますが、大阪弁と一緒なのは単なる偶然と思っていました・・・。

 

 更に西に300mほど進むと道路沿いに大きな観音像がありました。「元文五」の文字が見えますので1740年に建てられた物のようです。

 

 更に西に進んで国道7号線のガード下を潜り、浜ノ町に来ました。ここで不思議な場所を発見!

 庚申塚などいくつもの石碑や石像がある場所です。

 

 そしてその中には芭蕉翁」と刻まれた歌碑らしきものがあります。ただ、書かれている内容はほとんど判読できません。

 

 また、俳句らしきものが刻まれている石碑もありました。かろうじて「旅人」という文字が読み取れます。

 これらは何なのでしょうか?芭蕉」とは書かれていますが、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で秋田県を訪れたのはここから20数km南の象潟(※にかほ市)までのはずですので、ここに来て句を詠んだ記念、ということはありえないでしょう。

 釈然としないままこの場所を離れましたが、家に帰ってからいろいろと調べたところ、由利本荘市公式ウェブサイトにヒントが見つかりました。

 それによると、「市内にいくつかの芭蕉碑があります。この芭蕉碑というのは俳句愛好者たちが、俳聖とあがめる芭蕉を祀り、自らの俳句の上達を願い建立したものです。」とあります。そのうちの2つについては実際の写真が掲載されていました。

 残念ながら、その写真の中にこの石碑はありませんでしたが、おそらくこれも愛好家が建立したものでしょう。文字が読み取れないだけに紛らわしいですね(笑)。

 

 さて羽州浜街道ですが、本来ですともう少し子吉川の河口に向かって進み、途中から南西に進んで西目の海士剝集落に出るようなのですが、現在はそのほとんどが松林に覆われて道が無くなっています。

 ということで、やむなくここで左折して羽州浜街道から離れます。

 

 国道7号線を経由して海士剝集落に着きました。ここからは再び羽州浜街道となります。

 この先は毎年9月の第2日曜日に行われる西目健康マラソンのコースを走ります。

 西目海岸です。

 

 西目の出戸地区まで来ました。特に羽州浜街道の痕跡はありませんが、瓦屋根の民家が連なり風情があります。

 

 その後は一旦国道7号線に合流し、にかほ市に入ってから平沢地区の住宅地を通って創業1487年という全国でも3番目の歴史を持つ酒蔵を持つ「飛良泉本舗」に着きました。

 ここは店舗のようですが、土日祝日は休業との張り紙がありました。

 工場はこの裏でした。

 今回の旅ランはここまでで、後は車を置いてある潮風公園に戻ります。

 この公園のすぐそばに「かみのゆ温泉」という温泉があるようですので歩いて行ってみます。

 一見、銭湯のような店構えで内部も銭湯っぽい感じでした。ただ、お湯は琥珀色のモール泉で紛れもない温泉(※温泉成分分析表を見ると泉温が19.5℃となっていましたので正確に言えば鉱泉でしょうか?)です。直接関係は無いとは思うのですが、薪でお湯を温めているせいか、とても肌に優しく気に入りました。

 ここは平沢海水浴場からもすぐ近くですので、泳いだ後にここの温泉に入れば最高でしょう。入浴料は400円でシャンプーなどの備え付けはありません。

 

 汗を流してさっぱりしたところで帰宅です。

 結局この日は16.1kmの距離を写真撮影を除いてノンストップで走り続けました。

 やはりロキソニンを飲んでいても痛みはありますが、これだけの長い距離を走れたことに安堵しています。

 ようやく暖かくなり旅ランには好適な季節になって来ましたので、これからは大いに旅ランを楽しみたいと思っています。

羽州浜街道ラン&ウォーク③(道の駅岩城~羽後本荘駅)

 だいぶご無沙汰しておりましたが、昨日(3/16)は羽州浜街道ランの第3弾として由利本荘市道の駅岩城から羽後本荘駅までのラン&ウォークを行いました。

 まずは今回のスタート地点である道の駅岩城まで車で向かいます。

 道の駅岩城に到着しました。天気はまあまあ。少し風が強いので波も高くなっています。

 でも、この日はここから南に向かいますので追い風となります。

 ただ、鵞足炎(?)による左膝の痛みなどにより、この10日ほどは全く走っていないのでこの日予定している20km余りのコースを走り切る自信はありません。

 そこで最近よくやっているように1km走って1km歩くということを繰り返すラン&ウォークで進むことにします。

 

 5kmほど走り(歩き)、国道7号線から松ヶ崎の集落に入ります。

 何か羽州浜街道の痕跡は無いものか探していたところ、道路脇の墓地のそばに地蔵堂があるのを見つけました。

 ちょうどその地蔵堂を掃除している年配の女性がいらしたのでここは羽州浜街道だったのか聞いてみたところ、良く分からないが昔からの道路で以前は国道だったとのことでした。そして現在の国道7号線がある場所は以前は田んぼだったとのことですので、まあ間違いないでしょう。

 

 その後は国道7号線と海岸沿いの集落の中の道を進んだのですが、芹川という集落では家々の敷地の海側には板で高い塀を造っていました

 逆光で良く見えないですね。反対側からも写します。

 秋田県日本海からの風が強いため風力発電導入量は全国第2位となっていますが、由利本荘地区では海岸に面して建っている家はその風から家屋を守るため、ほとんどがこのように板などで覆われているようです。

 

 また7号線に戻り南に進んでいると「夕陽の見える日露友好公園」の看板がありました。この看板はこれまでも気にはなっていたのですが、一度もこの公園に行ったことはありません。

 7号線に隣接しているポケットパークのようですので立ち寄ってみましょう。

 石碑には「露国遭難漁民慰霊碑」と書かれています。

 そして隣にある説明板によると、昭和7年にここ深沢海岸にロシアの漁船が漂着し、深沢の住民が4名の乗組員の救助を行ったが、うち1名は既に死亡していた。他の3名は住民からの食事や介護を受けて元気を取り戻し、3日後には敦賀経由で帰国した。死亡した1名に対しては地域の共同墓地に十字架を立てて懇ろに埋葬された、とのことです。

 そしてまた60年後の平成4年には、秋田県の内外からの厚志によりこの「夕陽の見える日露友好公園」と「露国遭難漁民慰霊碑」が完成し、ロシアとの交流を推し進めている、とのことが書かれていました。

 国境を越えて命の尊厳の大切さを示したこれらの行為には感動を覚えます。

 自らの野望のため人命を奪い続けているどこかの国の独裁者には、この話を聞かせてやりたい!

 

 羽州浜街道はその後も7号線を3.5kmほど南に進んでから7号線を離れて市街地に向かいます。

 特に旧街道の面影はありませんが、途中で太平山三吉神社の石碑がありました。

 太平山三吉神社秋田市総本宮があるのですが、北海道、東北各地それにブラジルのサンパウロにもその分霊が祀られている神社があり、石碑や祠も数多くあるそうです。この石碑もだいぶ古い物のようですので、この道も古くからあったのでしょう。

 

 そして羽州浜街道は由利橋で子吉川を渡るのですが、その前に少しだけ羽州浜街道を離れて本荘郷土資料館に立ち寄りたいと思います。

 ここへ来た目的は次回の羽州浜街道での立ち寄り先の参考になるものを探すことです。

 残念ながら特にこれと言ったものはありませんでしたが、ひとつだけ非常に興味をそそられるものがありました。

 それはこの場所から1kmも離れていない子吉川と芋川の合流地点の河川敷にある「菖蒲崎貝塚」の出土品です。

 菖蒲崎貝塚は、縄文時代早期の貝塚ですが、秋田県ではあまり貝塚が多くない中でこの菖蒲崎貝塚日本海側の貝塚としては最大級のもののようです。

 恥ずかしながら私はここにこのような貝塚があったとは知りませんでした。発掘調査が比較的最近になって行われたこともあるのでしょうが、勉強になりました。

 

 そしてもう一か所、羽州浜街道からほんの少し離れているのですが、国登録有形文化財の「齋彌酒造店」の建物も見学しましょう。

 この建物は明治35年頃に建てられたものですが、二階は洋風にするなど独特のデザインとなっています。

 齋彌酒造店は、最近ではあまり見かけなくなった「由利正宗」と秋田県では人気の「雪の茅舎」という日本酒を製造している会社ですが、この建物の向かい側には齋彌酒造店が経営している「発酵小路 田屋」というカフェもありました。

 昼食がまだだったのでここで昼食にしましょう。

 ランチの塩こうじたまごサンドのセットをいただきました。

 また、店内には土産物コーナーが併設されており、雪の茅舎入りの酒まんじゅうをお土産に買いました。

 食べて見たら他の酒まんじゅうよりも酒の香りが十分に感じられ、美味しかったです。

 後は羽後本荘駅に向かうだけです。100mほど戻って再び羽州浜街道に入り、由利橋を渡ってから300mほど進むと羽州浜街道は右折するようです。

 「羽州浜街道の地図|旧街道モバイルマップ」というサイトによるとここで右折なのですが、グーグルマップによるとここは直進で本荘城のそばを通り、すぐには海岸方向には進まずに内陸部を通って西目漁港の辺りで海岸に出るという全然違うルートになっています。

 どちらを採用すべきか迷うところですが、「出羽街道・浜通り(鶴岡~秋田)を歩く」(※出羽街道浜通り羽州浜街道の別名)というブログでもここを右折のルートを辿っていることからここは右折とします。

 ということでこの日の羽州浜街道ランはここで終わりとし、JR羽後本荘駅に向かいます。

 羽後本荘駅に着きました。

 前回この羽後本荘駅に来た時は駅舎の工事中でしたが、ようやく完成したようですっかり新しくなっていました。

 そして電車で岩城みなと駅に移動し、道の駅岩城に置いてある車に乗って帰宅しました。

 結局この日はランではキロ7分台(10.0km)、ウォークはキロ11分台(10.6km)で何とか無事に終了です。

 ロキソニンを飲んではいたのですが、やはりハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みはあります。ただ心配していた鵞足炎(?)による左膝の痛みはほとんど出現しませんでしたので少し安心しました。

 今後は少しづつ走れる距離を伸ばして旅ランの行動範囲を拡げられたらと思っています。

リハビリランの開始と雪の華の再録音

 持病のハムストリングス付着部炎に加え、先月には鵞足炎(?)も発症したことからしばらくランニングを中止していました

 そしてネットで調べたところ、鵞足炎の場合、一般的には5日から2週間で炎症症状は落ち着くことが多く、その後は徐々に運動量を増やす必要があり、スポーツへの復帰までは1か月ほどかかる、ということです。

 そこで、まずは発症から約半月が過ぎて炎症が治まったことから、今日は久々に一つ森公園のジョギングコースに行ってみました

 その目的は、まずは少しだけ走ってみて、鵞足炎を発症した左膝の様子を見ることです。昨日、2kmほど歩いた時にも特に問題は無かったので、今日はゆっくりランで1kmほど走る予定でした。
 ところが、走り始めてからすぐにハムストリングス付着部炎による右臀部痛が出現し、結局、ジョギングコースを1周(※422m)で止めざるを得ませんでした

 鵞足炎による膝痛は、この程度の距離(422m)とスピード(キロ7分半)であれば大丈夫と分かったのは収穫ですが、一番の大敵であるハムストリングス付着部炎が全く軽快していないことを知り、愕然としています。

 この分では今年もレース出場は無理かもしれません。せめて旅ランだけでも予定通り実施したいものです。

 

 ところで、この鵞足炎でランを控えていたことからいつにも増して暇を持て余し、またもや下手な弾き語りに取り組みました

 曲名は中島美嘉さんの「雪の華です。

 実は、この曲は2年前の1月にYouTubeにアップし、このブログでもご紹介させていただいていたのですが、先日聴き返したところ、サビの部分からどんどん「走って」(※リズムが前のめりになり、だんだんと速くなること)いて、自分でも聞くに堪えないものでした。

 この時はメトロノームも使わずに適当に歌ったためでしょう。

 そこで今回は名誉挽回(?)のため再度チャレンジすることとし、私が使っている無料DAW(※音楽制作ソフト)のCakeWalk by BandLabにあるメトロノーム機能を使って一定のテンポで歌い切ることが目標です。

 ただ、何とかサビ以降の「走り」は抑えられたのですが、聴き返してみるとテンポに気を取られて音程にあまり注意が払われていませんでした。

 ということで名誉挽回にはなりませんが、よろしければお聴きください。

www.youtube.com

 私の住んでいる秋田市は1月、2月と記録的な暖かさであまり雪が降らなかったのですが、3月になってからはその量は多くないものの、毎日のように雪が舞っています。

 今日は、久しぶりに晴天となり、気持ち良く一つ森公園の散策を楽しむことが出来ました。春が待ち遠しい!

 

コーちゃんのランニング日誌(2024年2月分)

 私の2月のランニング日誌です。

 1月は右臀部の痛みがひどく、5kmちょっとを3回だけの計15kmほどしか走れませんでしたが、2月に入り、いつまでもこうしてはいられないと思って2/5には久しぶりに10km走りました。やはり、痛みはあるものの10kmを走れたのは収穫でした。

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 そしてゆっくりであればある程度の距離が走れるようになったことから、2/9には新企画として羽州浜街道ランを開始し、まずは秋田市内の新屋地区までを、往時の面影を探しながら楽しく走りました。

 なお、羽州浜街道は江戸時代初期に整備された秋田市から主に日本海沿岸地域を通り山形・新潟県境の鼠ヶ関までの街道ですが、このランでは宿泊等のために一部でコースから外れますので、それらを合わせると総走行距離は200km以上になる予定です。

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 また、2/14には久しぶりに秋田市内バス停終点ランを行い、秋田市の南部にある下浜名ヶ沢から自宅までの20km弱をほぼノンストップで走りました。

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 そして2/18には羽州浜街道ランの第2弾として、秋田市新屋から由利本荘市にある道の駅岩城までのランを行いました。

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 ところが翌日のことです。軽めに2kmほど走ったのですが、その後、左膝の内側が少し痛み出しました

 ただ、痛みはほんのわずかなものでしたので、まあ歩くくらいなら問題ないだろうと思い、2/21には以前から計画していた一つ森公園の遊歩道等の一筆書きウォークを行いました。

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 歩いた距離は8.8kmとそれほど多くはないのですが、アップダウンが多く累積標高はたぶん300m以上あったでしょう。

 そしておそらくその影響だと思うのですが、その日の夜から左膝の痛みが強くなりました。その症状から鵞足炎と思われます。

 鵞足炎というのは、過度な練習で走り過ぎや膝を曲げるなどにより鵞足部(※膝の下のスネの骨である脛骨の内側の部分)への摩擦が多くなり、そこに付いている縫工筋、薄筋、半腱様筋という筋肉が炎症を起こしている状態です

 もちろん私は過度な練習などはしていないのですが、トレーニングで階段昇降をやり過ぎた場合なども発症の危険性があるようですので、この日の一つ森公園でのアップダウンがその引き金になったのでしょう。

 痛みは10日ほど経った現在、かなり和らいでおり、日常の動きの中で時折少し痛むことはありますが、それも一瞬です。

 鵞足炎は、重症度にもよるが5~14日程度で炎症症状が落ち着く場合が多い、と書かれたネットでの記事もありましたので、まあ、標準的な経過をたどっているようです。

 そしてスポーツ復帰までは1か月程度かかるだろう、とのことですので、もうしばらくはランニングを控えて、まずは平地でのウォーキングから始めて様子を見たいと思います。

 この休養で鵞足炎だけではなく、2年以上悩まされているハムストリングス付着部炎も一緒に治ってくれれば良いのですが(笑)。

ナニコレ珍百景!?(一つ森公園の水が吹き出す街灯)

 ハムストリングス付着部炎による右臀部痛で満足に走れない状態であることはこれまでも再三お話させていただいていますが、加えて数日前から左膝にも痛みがあり、ショックを受けています。

 

 思い当たることと言えば、2/21のことです。多少左膝に違和感があったのですが、走らなければ大丈夫だろうと思って一つ森公園内をウォーキングしました。それもただのウォーキングではなく、広い公園内をほぼくまなく歩くというもので、コースは次の地図の赤の線で示した約8.8kmです。(※それに自宅からの往復を加えると10.3kmになります。)

 しかも平坦地だけの8.8kmではなく、そのコースには未舗装の坂道や階段が多く含まれています。そして国土地理のGSI Mapsで調べてみると、そのコースには標高差20数m~40数mの大きな坂が9か所も含まれていましたので累積標高は300m前後になりそうです。

 私のこの左ひざの痛みは場所等から判断して「鵞足炎」を疑っているのですが、鵞足炎は膝の曲げ伸ばしやひねる動作で、鵞足部(※膝の内側のやや下)と腱や骨が擦れることにより発症するようですので、この時のウォーキングが原因でしょう。

 まずは安静が大事ということですので、痛みが治まるまでしばらくは大人しくしていようと思います

 

 ところで、私はこの日の4日前(2/17)に一つ森公園で不思議な光景を見ました。場所は上の地図に「不思議な街灯」と書いて示している日本庭園のそばの遊歩道です。

 一見すると何の変哲もない街灯ですが、下から50cmほどの場所から水が出ているのがお分かりでしょうか?もっと近づいてみましょう。

 まるで小便小僧のように街灯のポールから勢いよく水が出ています。これはどうしたことでしょう?

 水が出ているということは、どこかから水が供給されなくてはなりません。

 まず考えられることと言えば、何らかの理由でポールの中に水道管が通っていて、その水道管から漏水している可能性ですが、ポールの中に水道管を入れることなどあるのでしょうか?

 次に考えられることは、街灯の上部に穴が開いていて雨水が溜まり、その溜まった雨水が突然溢れ出たという可能性ですが、たとえ溜まった雨水が溢れ出たとしても量は限られていますので、そんなに長い時間は続かないでしょう。

 どうにも不思議でならなかったのですが、先ほどお話した2/21の8.8km公園内ウォーキングの際にもまだ同じように水が出ていました。

 数日前からほとんど雨は降っていないので、やはり雨水ではなさそうです。

 もしも水道管からの漏水だとすると修理しなくてはならないでしょうから、そのウォーキングの途中で一つ森公園事務所が入っている公園の体育館へ立ち寄って係の方へこのことを話し、この写真も見せました。

 その方のお話ではそこに水道管は通っていないとのことでしたので、依然謎は解けません。

 その後は左膝の痛みのため一つ森公園には行っていないので現在どうなっているか分かりませんが、もしまだ水が出ているなら、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」に応募してみようかな?(冗談です。笑)