私の住む秋田市では、冬期間は雪が降ることが多く、時には吹雪になることもあります。(今年は久々の大雪になり、積雪量は現在50cmを超えています。)
そして、運悪くランニング中に天候が急変して吹雪の中でランニングを続けざるを得ないことも年に何回かあります。
身体が凍えそうになるばかりでなく、風と雪で目を開けていられなくなるのですが、そんな時には私はよく「俺って何のために走っているんだろう?」と思います。
ただ、無事に帰宅するとホッとして、そんなことはすぐに忘れてしまうのですが、今日は、そのことについて自分で整理してみます。
まずその前に「何のために走るのか?」ということについて、一番悩んだのは1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得し、その3年後には自死された円谷幸吉さんではないでしょうか?
私が大学生の頃、ピンク・ピクルスという女性フォークデュオがあって、彼女たちが歌っていた歌で「一人の道」という曲があります。
私と同世代の方ならご存知の方もいると思いますが、歌詞をご紹介します。
ある日走ったその後で 僕は静かに考えた
誰のために走るのか 若い力をすり減らし
雨の降る日も風の日も 一人の世界を突っ走る
何のために進むのか 痛い足を我慢して
大きな夢は唯一つ 五つの色の五つの輪
日本のためのメダルじゃない 走る力の糧なんだ
父さん許して下さいね 母さん許して下さいね
あなたに貰ったものなのに そんな命を僕の手で
見て欲しかったもう一度 表彰台の晴れ姿
だけど体は動かない とってももう走れない
これ以上・・・・走れない
というものです。
また、ピンク・ピクルスのメンバーだった茶木みやこさんが歌っている動画を見つけましたのでお聞きください。
円谷さんは、次のメキシコオリンピックに向けての周囲からの異常な期待と重圧を受け、それに応えようと必死に頑張っていたのですが、怪我等によりそれが叶わないと悟り、責任を感じたのでしょうか、自死という道を選択してしまいました。
本当に痛ましいことです。
話を元に戻しまして、私の走る理由は、もちろん円谷さんのように周囲の期待に応えることでは、ありません。言うまでもないことですが・・・。
私が走る理由は、
走るのが好きだから
「走るのが好きだから」、というのは、あまり当たっていないと思います。ランニング時に楽しいとか気持ちいいとか感じる時は10%くらいしかありません。大概は走る時には苦しいし、長い距離は飽きるので、走ること自体が好きだからというのは、大きな理由にはなり得ません。ただ、走った後の満足感を含め、生活の中にランニングを取り入れていることによる充実感のようなものは間違いなくあります。
健康のため
「健康のため」、これは理由の30%くらいを占めると思います。私は出来るだけ長く健康を保ちたいと願っており、それは家族のためでもあり、国民の医療費や介護費の増加防止へのささやかな貢献でもあると思っています。
ランニングは、健康の維持・増進のために有効とされる有酸素運動の代表的なものであり、また、私は、より良い走りをしたいと日々の生活習慣にも気を配っているので、間違いなく健康には有用な行動と言えるでしょう。
ただ、時には必ずしも健康に良いとは言えないであろう負荷の高い走りをすることもありますので、これも主たる理由にはなりません。
自己実現のため
私が走る理由の中で最も大きいのは、「自己実現のため」のような気がします。
ですから、その目的に到達するための手段は、別に「走る」ことで無くても良いのです。
でも、いくつもある選択肢の中で私が「走る」ことを選んだのは、やはり走ることが好きだからなのでしょうか?
ランナーにおける「自己実現」ということをもう少し具体的に言うと、目標とするタイムで走ること、それに向けた練習を日々重ねること、そして大会に出場する人はそこで満足する成績を残すこと、ということになると思います。
ところが、これには大きな落とし穴があります。そうです。それはこのブログのテーマでもある加齢に伴う走力の低下です。
これまでもこのブログで再三お話ししているように、加齢(老化)は生物学的にも身体能力に大きな影響を与え、ランニングにおいても走力の低下の要因となってしまいます。
その結果、一般的には加齢に伴い、タイムは低下することになります。
そして、「ああ、もう年だから無理だ。」として「自己実現」を諦めてしまう人も多いと思います。
また、ここで諦めずに練習の強度や量を上げて、目標の達成を図る人もいるでしょう。そのことにより、首尾よく目標達成できる場合もあるでしょうが、一般的には加齢に伴い故障のリスクが増加し、また、故障からの回復期間も遅くなりますので、この方法によって目標達成を図ることは至難の業と思われます。
私が置かれているのがまさにこの状況でした。この状況では、早晩「自己実現」を諦めざるを得ないでしょう。
では、どうやって「自己実現」を図るかというと、まず、加齢を受け入れて、目標の設定は加齢を十分に考慮したものにすべきです。
10年前の自分にはどうしても敵いっこありません。身体能力が加齢ともに低下するのは自然の摂理であり、決して自分の努力が足りないからでも意志が弱いからでもないでしょう。
適正な目標設定をするためには、同年代のランナーのタイムを参考にすれば良いと思います。
もちろん、もともと身体能力に優れている人もいれば、その逆の人もいます。ですので、それらの人たちの現在のタイムそのものを目標にするのではなく、それらの人たちが加齢によりどの程度タイムが落ちているかを知り、その悪化率を自分の過去のタイムに当てはめて、自分の現在の目標タイムを設定をすることが、中高年になってもランニングで「自己実現」を図る数少ない方法のうちの一つだと思います。
そして、同じ年代のランナーのタイムの悪化率ですが、以前、私は月刊誌「ランナーズ」の「全日本マラソンランキング 」のデータを分析し、この企画が始まった2004年度の各年齢上位100人のそれぞれが2019年度までの15年間でどれくらいタイムが落ちたのかをまとめました。それは次のとおりです。
全日本マラソンランキング(加齢とタイムの関係) - ある中高年ランナーの悪あが記
この記事でお分かりのように、ある程度意欲をもって現在もランニングを継続していると思われるランナーで私と同じ年齢の人は、15年間で22.4%ほどタイムが落ちていました。そして、これからも年々同じ割合でタイムが落ちていくと仮定すると(※実際は年齢を重ねるごとにその割合は高くなるでしょうが・・・。)、私は2021年度には4時間前後のタイムとなってしまします。
よって、大事なことは4時間というタイムとなったとしても、それが普通なんだと割り切って、決して自分を責めないこと、ランニングへの情熱を失わないことが大事だと思います。
とはいうものの、自分の中ではまだサブ3.5復帰を諦めているわけではありません(笑)。
chuukounenrunner.hatenablog.com
などと真面目な話をしてしまいましたが、私が走る本当の理由は、ビールをおいしく飲むためでした(笑)