ある中高年ランナーの悪あが記

長引くハムストリングス付着部炎に悩まされながらも走ることを諦めきれない高齢者ランナーの奮闘記

第25回東京国際女子マラソン記念大会(思い出の大会※とほほ編)

 私は、1997年9月に45歳で初めてフルマラソンを走って以来、これまでに110回出走し、そのうちの105回を完走していますが、そのうちで思い出深い大会をいくつかご紹介したいと思います。

 今日は、その中でも特に「とほほ」だった第25回東京国際女子マラソン記念大会をご紹介します。

 最近走り始めた方は、「何で男性なのに女子マラソンに参加出来るんだ?」と思われるかもしれませんが、この時だけは、記念大会として男性も東京国際女子マラソンに参加出来たのです。

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 2003年11月開催で、参加資格は、男子の場合で過去2年以内にフルで3時間15分以内、ハーフで1時間30分以内の記録を持っていることが条件で、参加人数は男女合わせて2,700人以内となっていました。

 2003年といえば東京マラソンもまだ無かった時代ですから、東京の都心を憧れのランナーたちと一緒に走れるとあって、勇んで参加しました。

 当日は、タイム順に整列するので後ろの方に並ばざるを得なかったのですが、制限時間は3時間20分以内となっており、当時の私のタイムからいえば、まあ完走は間違いないものと高をくくっていました。何より、マラソンのTV中継でよく選手が国立競技場のゲートをくぐって競技場に入って観客の声援を受けるあのシーンを自分でも体験してみたいという強い思いがあったのです。

 ただ、スタート前から日差しが強く気温も大分上がって来ました。11月中旬というのに24度以上あったようです。私の住む秋田では、もう雪が降る年もある時期に24度はだいぶ堪えます。

 スタート後は、整列が後ろの方だったため大分混雑しています。ただ、最初の関門が5km地点で23分ですので、あまりのんびりもしていられません。焦って走りましたが、最初の関門で制限時間の30秒ほど前の通過と早くも綱渡りです。

給水所に水が無い!

 さて、給水は5km毎にあることになっています。早速、最初の給水所で給水しようとしたところ、水がありません。先に行ったランナーが全部飲んでしまったようです。

 というか、準備した水が少なかったのですね。大会関係者はこれまで限られた人数での大会の経験しかなく、必要な水の量を見誤ったのでしょう。当日は、予想外の暑さのため一人で2~3のコップで飲むだけでなく、身体に水を掛ける選手も多かったと思います。

 5kmを過ぎて水道橋の辺りからは大森海岸方面に向かって南下しますが、向かい風が強くなってきました。

 10km、15km地点の給水所でも水はありませんでした。スポンジポイントも7km地点から、これも5km毎にあるのですが、スポンジもありません。ここでも一人で複数個持っていくランナーが多いのでしょう。

 このままでは、熱中症になってしまう、と意を決してスポンジをつけておいた水の入っている大きなバケツから手で水をすくって飲みました。確か17km地点だったと思います。

 その水は白く濁っており、洗剤(?)のような味がしました。(洗剤は飲んだことは無いけど・・・。とほほ・・・。)

 その少し前だと思いますが、偶然にもこの大会を観戦していた私の所属する「秋田一ツ森RC」の現会長が撮影してくれた写真が次です。向かい風が強くて髪がライオンのたてがみのようになっています。

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 また、同じく会長が写したのが高橋尚子選手です。

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 当時の高橋尚子さんは、シドニーオリンピックで金メダルを獲得するなどまさに「常勝」であり、翌年のアテネオリンピックの代表選考会を兼ねたこの大会でも優勝間違いなしと思われていました。私がコース上ですれ違った時にも風のように通り過ぎて行きました。

 脚がつりそうで30km過ぎにリタイア

 さて、また私についてですが、関門はぎりぎりでは無く、少しだけ余裕もあったのですが、だんだん関門に引っかかるランナーも多くなって来たようで人数が少し絞られてきました。

 そのせいか、20km地点では、ようやく給水にありつけました。25km地点でも給水でき、この地点までは、タイム的には順調でしたが、25kmを過ぎてからふくらはぎに異変が生じました。つりそうなのです。

 たぶん、暑さのため大量の汗をかいてナトリウムが不足しているところに、20km地点からは取れた給水は水だけでスポーツドリンクなどは無く、ナトリウム不足に拍車をかけたのでしょう。

 だましだまし走りましたが、スピードが落ちて30kmの関門では、ほんの10数秒前にかろうじて通過するという状況となりました。このままでは次の関門では間違いなくひっかかります。かといって無理してスピードを上げると完全に脚がつってしまうのは目に見えています。

 そこで私はここで勇気ある撤退を決意します。大会役員にその旨を告げ、収容車でゴール地点に向かうこととしました。

収容車に乗ったものの・・・

 ところが収容車(大型バス)はなかなか出発しません。棄権のランナーを待っていたのでしょう。

 ようやく出発したのですが、今度は収容車が渋滞に巻き込まれ一向に進みません。もしかすれば、この大会のためにコース以外の道路が異常に混雑していたのかもしれません。

 そうこうしているうちに収容車に乗っているランナーたちから、このままでは飛行機や新幹線に間に合わないので降ろしてくれ、という声が上がりました。その人たちは走ってゴールの国立競技場に向かうようです(国立競技場に荷物があるので。)。

 私も、あまり時間が掛かると新幹線に間に合いませんので、一緒に国立競技場に向かうこととしました。結局は、つりそうな足で国立競技場へ走ったのです。こんなことなら棄権するじゃなかった!どうせゴールまで走ることになるのなら、35kmで関門不通過でも棄権よりは良いですものね。

 国立競技場には着いたのですが、残念ながらゲートをくぐって競技場のトラックを走るというシチュエーションは体験出来ませんでした。

 もう一つ残念なのは、高橋尚子選手が30km過ぎで失速し、アレム選手に抜かれて2位に終わったことを知ったことです。

 国立競技場では自分の荷物を受け取り、参加賞をもらいに行きました。棄権した人には棄権者用のTシャツがもらえることになっていたのです。

 ところが、Tシャツが無くなったとして代わりに大判のフィニッシャータオルを配られました。たぶん、予想以上に棄権者が多く(記憶では確か完走率は4割前後だったような気がします。)、棄権者用のTシャツが足りなくなり、逆にフィニッシャータオルはたくさん余ったのでしょう。

  フィニッシャータオルは他の大会のものに比べて非常に大きく、貴重なものではありますが、完走はしていないし、大き過ぎてかさばるのであまり大会にも持ち歩かないのでまだ新品みたいです。今度、タオルケット代わりに使おうかな?

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 東京国際女子マラソンは、2008年をもって終了し、2009年からは横浜国際女子マラソンに引き継がれ、さらに2015年からはさいたま国際マラソンに引き継がれたのですが、そのさいたま国際マラソンも女子のマラソン日本代表選考競技会としての開催は2019年が最後となってしまいました。日本の女子マラソン復権のためにも新たなマラソン日本代表選考競技会の開催を望むところです。