ある中高年ランナーの悪あが記

長引くハムストリングス付着部炎に悩まされながらも走ることを諦めきれない高齢者ランナーの奮闘記

緊張性頭痛で眠れません

 1週間ほど前から頭痛がひどく夜も眠れない状態になっています。

 これまでも後頭部から首にかけての痛みは日常的にありましたが、それはたいした痛みではありませんでした。

 ところが今回は痛みが強い上に、夜中にひどくなるのです。

 いろいろネットで調べたところ、気になることがありました。

 「脳腫瘍の症状は、頭蓋骨内の圧力が高まることで起こりますが、その圧力は睡眠中にやや高まります。そのため、朝起きた時に頭痛がする場合は、脳腫瘍の症状かもしれません。」というのです。

 脳腫瘍は10万人あたり10~12人に発生するといわれる非常にまれな病気ですが、先月の下旬、秋田市出身の冒険家である阿部雅龍(まさたつ)さんが脳腫瘍により死亡とのニュースが流れて来ました。

 阿部雅龍さんは、これまで数々の冒険に挑み、「植村直己冒険賞」も受賞していますが、現在は南極大陸の「白瀬ルート」の単独徒歩での南極点到達への再挑戦に向けて準備中でしたので、道半ばでの早すぎる死はさぞかし無念であったでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

www.yomiuri.co.jp

 ということで、可能性は少ないものの最悪なら脳腫瘍かもしれない、と覚悟して4/15に初めて脳神経外科を受診しました。

 そして問診の結果、先生からは「おそらく緊張性頭痛と思われるので頭の筋肉の緊張を緩和する筋弛緩薬を処方しましょう」とのことで、加えて念のため頭部MRIも4/23に行うことになりました。

 薬の効果ですが、残念ながら今のところあまり感じられません

 日中の痛みはそれほどでもないのですが、夜には痛みが強くなり、どうにか寝付いても2~3時間後には痛みで目が覚め、その後はほぼ眠ることが出来ません。

 ただ、思わぬところでプラスの効果もありました

 それは長期間悩まされているハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みが若干緩和されていることです。

 これまではたとえゆっくりランであっても走ると痛みがあり、どうにかそれをごまかしながら走っているという状態だったのですが、筋弛緩薬を服用するようになってからは痛みが弱くなり、さほど痛みを気にせずに走ることが出来るようになりました

 これが筋弛緩薬の影響によるものかどうかは分かりませんが、筋弛緩薬は腰痛症も適応症になっているようで、服用後は私の腰痛も軽くなっていますので、ハムストリングス付着部炎にも効果が出ているのかもしれません。

 ただもう一つランニングへの影響ということで言えば、ランニングは骨格筋の収縮と弛緩によって成り立っているのですから、筋弛緩薬の服用によって十分な収縮が行われなくなると出力が落ちるものと思われます。(※私のシロート考えです)。

 実際、今日も近所の一つ森公園へ行きちょっと走ってみたのですが、1周422mのジョギングコースを現在の私が出せるであろう最大のスピードを意識してキロ6分で走ろうとしたにも拘らず、実際は1周に2分52秒も掛かってしまいました。

 1km当りにすると6分48秒ですのでかなり悲惨な状況ですが、このまま筋弛緩薬の影響でハムストリングス付着部炎の痛みが軽い状態が続くのであれば当面はそれを受け入れて、少ない痛みでのランを楽しめればと思っています。

 一つ森公園の桜も満開になりました

 

羽州浜街道ランその⑥(上浜駅~吹浦駅 ※三崎公園散策)

 昨日(4/11)は、羽州浜街道ランの第6弾としてにかほ市上浜駅から県境を越えて山形県遊佐町遊佐駅までのランを行いました。

 そしてそのルートですが、県境となる三崎峠の辺りは羽州浜街道で最大の難所となっていたためか、明治以降の道路整備においてはその部分を迂回して整備され、羽州浜街道は現在でも人がやっと通れるような山道のままになっています

 そのためグーグルマップでもその三崎公園内の山道(※羽州浜街道)のルートを表示出来ませんので、可能な部分だけを表示させていただきます。

 まずは、上浜駅から国道7号線などを通って三崎公園内の山道の入口までのルートです。

 そしてその後は山道を通って三崎峠を越えると再び国道7号線に出ますので、その地点から吹浦駅までのルートです。

 この日はランの前にスタート地点から車で10分ほど手前にある道の駅象潟で昼食を摂りました。

 道の駅象潟は東北最大級と言われ、約20,000坪もの敷地があります。

 小さな祠もありました。

 これは何でしょう?

 

 建物の裏手の広場には前回の旅ランで訪れた蚶満寺(かんまんじ)同様に西施(せいし)の像がありました。

 松尾芭蕉奥の細道の道中、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と詠んでいますものね。

 

 さて、車を上浜駅の駐車場に移動させ、そこからスタートです。ここにはゴール後に吹浦駅からJRで戻って来ますので、置かせてもらっても問題ないでしょう。

 数十m進むとすぐに国道7号線に出ます。ここからが羽州浜街道です。

 途中、大砂川地区と小砂川地区では国道7号線から外れますが、小砂川では八幡神社に立ち寄りました。

 創立年代は不詳のようですが、拝殿には見事な彫刻が施されていました。

 

 国道7号線に戻っての間もなくのこの地点から羽州浜街道はまた国道7号線を外れて、三崎公園内の旧道に入ります。

 ただ、グーグルマップでは羽州浜街道は国道7号線を挟んで反対側のこの道路に入ることになっています

 しかし、この道は明治9年に初めて開削されたものであり(※現在の国道7号線が海岸沿いに開通する昭和27年までは国道だった)、江戸時代から存在していた羽州浜街道ではありません

 奥の細道で有名な松尾芭蕉も、もちろんこの道ではなく三崎公園内に今も残る旧道(※羽州浜街道)を通ったようですので、私も松尾芭蕉と同じ道を辿ることにします

 ちなみに辿る道は次の地図で「三崎旧道」と表示されているラインです。そしてまた、旧国道は羽越本線の上を走る「酒田街道(明治9年)」と書かれているグレーのラインです。

 

 旧道に入りました。やはり険しい山道のようです。

 

 ところどころに「奥の細道」の案内表示がありますので、それを頼りに進みましょう。

 

 ただ、この三崎公園内には「奥の細道」(※三崎旧道)のほか、公園として整備された遊歩道も入り組んでいて、どちらを進むべきか迷うことがあります。

 まあ、整備されていない方を旧道と判断し、歩きにくい道を進みます。

 

 やがて舗装道路に出ました。この道路は公園内の道路です。奥の細道芭蕉随行した門人・河合曾良の日記による文学碑もありました。

 

 道路を渡って再び森の中に入ります。

 

 一里塚跡がありました。紛れもない旧街道の名残ですね。

 

 草木を分け入っていくような場所もあります。

 

 約1200年前に慈覚大師円仁が開いたと言われる太子堂に着きました。

 太子堂の周辺には五輪塔(※石を5個積み上げた供養塔)が点在しており、古い物は円仁の時代の頃のものといわれているようです。

 

 そして三崎旧道の山形県側入口に着きました。来た道を振り返ります。

 秋田県側の入口からここまでは1.6kmほどでしたが、大きな石が転がっているなど歩きにくい部分が多かったため43分も掛かりました。でも、これは想定の範囲内です。

 

 さあ、ここからランの再開で国道7号線に戻ります。

 

 7号線を離れて女鹿集落に入ると神泉(かみこ)の水と呼ばれる住民の共同洗い場がありました。

 

 女鹿集落は建物がすべて瓦屋根であり、色調も統一感があって風情がある街並みです。

 

 松葉寺の入口にはお地蔵様と庚申塚がありました。

 

 女鹿集落を過ぎ、国道345号線に入ってから海沿いの滝ノ浦という集落を通っていると高い位置から私を見下ろしているお地蔵様を発見。

 江戸時代から旅人を見守ってくれているのでしょうか?


 そしてさらに国道345号線を数百メートル進むと今度は鳥崎という集落にもお地蔵様がありました。

 そういえば、吹浦地区ではユネスコ無形文化遺産に「来訪神 仮面・仮装の神々」として登録された「アマハゲ」の民俗行事が行われていますが、アマハゲの行事が今も行われているのはお地蔵様を見かけた女鹿・滝ノ浦・鳥崎の3つの集落だけのようです。

 お地蔵様とアマハゲには直接的には何の関係もないのでしょうが、この偶然は昔からの歴史や伝統を大事にするという住民の方々の意識の表れによるものかもしれません。

 

 さらに345号線を1kmほど進んでから羽州浜街道は345号線を離れて南光坊を経由します

 ところが、途中から通行止めとなっていました。

 まあ、車両通行止なのでランナーの通行は大丈夫でしょう。

 

 坂道の途中には「南光坊坂開通の碑」がありました。

 この南光坊坂というのは、南光坊永淳順法師が、荘内から秋田に通ずる悪路から住人旅人の難儀を救おうと新道開削を決意し、1839年天保10年)に生涯の事業として独力で工事を始めて完成させたと伝えられています。

 この道路が出来るまではさらに山側の悪路を通るしかなかったようですので、南光坊法師の功績は計り知れないものだったでしょう。

 

 さらに坂を上ると通行止めの原因が判明しました。大きな石が路上にありました。たぶん崖の上から落ちてきたのでしょう。


 坂を上り切ったところで来た道を振り返りましょう。だいぶ上って来たのですね。


 ゴールの吹浦駅までは大分近づいて来ましたが、時間が余りそうなので道路沿いにある諏訪神社に寄ってみました。

 

 そして次にこの日最後の訪問地である鳥海山大物忌神社(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ)の里宮である吹浦口ノ宮に行きました。なお、本殿は鳥海山の山頂にあります。

 下拝殿の脇の長い石段を上って拝殿に着きました。 

 更にその裏に建物があるようなので行ってみましょう。ただ、その建物に行くためには拝殿の中を通らなくてはならず、普段は中には参拝者は入れないようです。

 拝殿の横の階段を上って月山神社本殿のそばまで来ました。

 ただ、月山神社本殿と鳥海山大物忌神社吹浦ノ口本殿には柵が張り巡らされてこれ以上は近づけませんでした。

 

 鳥海山大物忌神社からは500m弱で吹浦駅に着きました。

 

 吹浦駅から見た鳥海山です。鳥海山は富士山のような円錐形をした美しいコニーデ型火山でしたが、噴火により山体崩壊を起こし、現在の姿になっているとのことです。

 吹浦駅前の桜です。満開ですね。

 吹浦駅からはJRで上浜駅に移動し、無事、車で家に帰りました。

 この日のランは前半・後半合わせて12kmほどで、いずれもキロ7分台の後半とかなりのゆっくりペースでした。

 今後の旅ランはいずれの回も25km以上と長距離ですので、はたして走り切れるでしょうか?

秋田県境越えラン㉑(国道454号線見返峠・迷ヶ平その2)

 昨日(4/6)は、国道454号線の青森県境である迷ヶ平へのランを行い、その後、県道128号線と国道454号線の合流点からスタートして、国道454号線のこれも青森県境の見返峠までのランを行いました。

 最初の迷ヶ平までのランのルートは次のとおりです。

 まず、車を県境を越えてすぐの迷ヶ平公衆トイレの駐車場に置きました。

 ここまでは車で3時間ほど掛かっています。標高が高いせいか思った以上に雪があり、除雪もほとんどされていなかったのですが、何とか車を止められる場所が見つかりましたので一安心です。

 ここから前回の到達地点である県道128号線の田代平に向かいます。

 前回は牧場へ行くための細い道の入口付近のこの場所まで来ましたので、ここがスタート地点となり、来た道を戻ります。

 天気は快晴で気温も上がり、旅ランには最適な天候です。

 道路に雪はありませんが、日当たりの良い牧草地などを含め、まだまだ周りには雪が残っています。

 ここまでが県道128号線となり、この先は左右とも国道454号線です。

 そしてまずこの日は右折して青森県境の迷ヶ平に向かいますが、左折して2.7kmほど進んだ見返峠付近も青森県境になっています。何か地形が入り組んでいて複雑ですが、そちらについてはまだ冬期閉鎖中となっているはずです。

 ちょっと様子を見てみましょう。

 やはり通行止めとなっています。確認後、当初の予定通り、迷ヶ平へのコースに戻ります。

 青森県に着きました。

 ここからほんの200mほどで、車を置いてある迷ヶ平公衆トイレの駐車場に着きました。

 昨年7月に行ったこのコースの下見の際に立ち寄った食堂も周りを雪に覆われて休業中のようです。

 

 さて、当初の予定ではこの日はこの後、十和田湖畔に移動して滝ノ沢峠の途中までのランを行うことにしていました

 ただ、そのコースの近くには適当な駐車場はありません。グーグルマップで見たところ、道路沿いに車を1~2台ほど止められるようなスペースがありましたので、そこに止めるつもりでいたのですが、この分では雪が多くて止められない可能性が大きいと思われます。 

 そこで急遽予定を変更しました

 先ほど立ち寄った通行止めの先の道路ですが、道路には雪が見えませんでしたのでどこまで行けるのか確認したいと思います。

 本当は歩行者も通行してはいけないのかもしれませんが、危険個所があっての通行止めではなく雪があって通れないという通行止めですので、自己責任で注意しながら進みましょう。

 ちなみに通行止めとなっている地点から県境の見返峠までは次のようなコースになります。

 見返峠に向かうのですが、最初はむしろ下っています。道路には全く雪がありません。だいぶ前に除雪したのでしょう。

 

 やはり徐々に上りになって来ました。まだ、道路に雪はありません。

 

 結局、道路上に雪は無いまま県境の見返峠に着きました。そして県境には改めて通行止の表示があります。


 青森県側に入ってもう1枚。

 

 峠からは十和田湖が見えました。見返峠をいう名前は、昔、十和田湖方面から山道を上って来た旅人がここで振り返って十和田湖を眺めたことに由来するのでしょうか?

 

 あとは来た道を戻るだけです。スタート地点に着きました

 

 これで予定している19か所の県境越えのうち15か所を制覇したことになります

 相変わらず右臀部の痛みがあり、この日もラン(7.4km、5.3km)のスピードはキロ7分台とゆっくりでしか走れませんでした。

 この状態ではとてもレース出場は無理ですが、何としても予定している旅ランは完遂したいと思っています。

コーちゃんのランニング日誌(2024年3月分)

 私の3月のランニング日誌です。

 3月は、前月に発症した鵞足炎(?)により前半はランニングを控えました。

 鵞足炎による左膝内側の痛みは走ってもあまり感じない程度にはなっていたのですが、階段の上り下り(※特に下り)や膝を折る時などは痛みますので、悪化しないよう大事を取っていたのです。

 3/6には試しにちょっと走ってみようとリハビリランを試みたのですが、鵞足炎の痛みが出る前にハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みが強くて400mほどで走るのを止めてしまいました

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 しかし、いつまでもこうしてはいられないので、3/16には羽州浜街道ランの第3弾を実施しました。道の駅岩城から羽後本荘駅までで、距離は20kmもあります。

 ただ、鵞足炎への不安があり、またハムストリングス付着部炎の痛みも軽快していないことからとても走り切るのは無理と判断し、1km走って1km歩くというラン&ウォークで何とか無事にこの日の予定を終了しました。

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 ハムストリングス付着部炎といえば、3/22には久しぶりに整形外科を受診しました。

 そして先生には、今処方されている湿布薬では効き目が弱いことと胃潰瘍は既に完治して胃腸科の先生からは胃薬を飲みながらであればロキソニンを飲んでも良いと言われていることを告げて、ロキソニンの内服薬を処方してもらえないかお願いしました。

 すると先生からは「では、1日3錠で2週間分出しておきましょう。胃薬も出しておきます。」と言われました。

 私はロキソニンは1日2錠までと思っていたのでびっくりして「3錠飲んで大丈夫ですか?」と聞いたところ、痛みが1日中続くときは3錠飲んでください。でもあまり飲むと胃を悪くするので、そうでなければ1日に1~2錠にしてください。」とのことでした。

 ということでロキソニン(※正確に言えばロキソニンジェネリックです)がお安く42錠も入手出来ました。ただ、胃薬を飲みながらと言ってもやはり胃潰瘍の再発が心配ですのでとりあえずは1日1錠までにしようと思います。

 そしてロキソニンを常用するようになってからは少しハムストリングス付着部炎の痛みが少しだけ軽くなったような気がして、短い距離ながらも出来るだけ毎日走ることにしました。

 

 3/24には羽州浜街道ランの第4弾として羽後本荘駅からにかほ市までのランを行いました。この日はハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みが軽かったため約16kmを写真撮影を除いてほぼノンストップで、キロ6分台の前半で走ることが出来ました。

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 そして、3/28には羽州浜街道ランの第5弾としてにかほ市潮風公園から上浜駅までのランを行いました。この日のルートには街道沿いに見どころが多く、時間が足りなかったのが残念です。

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 このように3月は後半になってからようやく少し走れる状態になりましたが、ここで繰り返しにはなりますが、もう一度、私の現在の体調等について整理してみます

 まず何と言っても私の最大の懸案事項は、発病以来2年5カ月続くハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みですが、ロキソニンを服用すればキロ6分台のゆっくりペースならば何とか走れるようになって来ました。

 また、2月下旬に発症した鵞足炎(?)ですが、こちらは3月中旬から走りにはあまり影響が無くなり、現在は膝を折る時に痛みがある程度ですので完治が近そうです。

 あと、これは走りにはあまり影響無いのですが、3月上旬から左の脇腹(※肋骨の下部の表面)に痛みを感じるようになりました。

 左脇腹の痛みの原因には胃や膵臓など内臓の病気も考えられるようですが、私の痛みは特定の動きをした時に痛むものであり、また表面ですので自分では例えば腹斜筋などの筋肉を痛めたものと思っています。

 ただ膵炎など膵臓の病気は心配ですので脇腹が痛くなってからは酒を控えるようにしています。なにしろ50年ほどほとんど毎日飲み続けたので膵臓や肝臓に負担が掛かっているのは間違いないでしょう。

 酒を止めて困っているのは、夜になかなか寝付けないことです

 これまでは酒を飲んで寝るため2~3分で入眠出来ていたのですが、酒を飲まないで寝ると最低でも1~2時間、場合によっては明け方まで寝付けません。

 まあ私は毎日が日曜日ですので睡眠不足でも仕事に影響する訳でも無く、特に大きな弊害というわけでもないでしょう。

 それにこれまでは夜中に必ず1~2回はトイレに起きて、その後はなかなか眠れないことも多かったのですが、酒を飲まなくなってからはほとんど夜中にトイレに起きることは無くなりました。

 そして左脇腹の痛みはあまり気にならないくらいに良くなって来ていますが、飲酒の再開についてはもう少し様子を見てからにしたいと思います。

 

 例年よりは遅いものの、各地から桜の開花の便りが届いています。私の住む秋田市でもあと10日ほどで開花しそうですので、好天の下、桜を眺めながら走るのが楽しみです。

羽州浜街道ランその⑤(潮風公園~上浜駅 ※象潟観光)

 一昨日(3/28)は、羽州浜街道ランの第5弾としてにかほ市潮風公園から上浜駅までのランを行いました。

 ルートは次のとおりです。

 まずは、今回も前回同様に潮風公園に車を置きます。

 

 そして前回来た羽州浜街道沿いの飛良泉本舗に着きました。ここから今回の羽州浜街道ランのスタートです。

 

 スタートしてすぐに「TDK歴史みらい館」がありました。

 TDKはかつてはカセットテープやビデオテープを製造していた大手電子部品メーカーです。旧街道を辿り、往時の面影を探しながら走る、というこのランの趣旨とは若干異なりますが、予定より早くスタートしましたので時間調整を兼ねて見学しました。

 ただ、今回のランは見どころが多く、長文になりそうなので見学の詳細は割愛します。

 海岸沿いの道路を西に700mほど進むと漁港のそばに大きな石碑がありました。

 「舩玉大神」と刻まれています。「船玉(船霊)」とは、船や乗船者の守護神とされ、航海関係者に信仰される神様のようです。明治4年に建てられた石碑のようで「海上安全」とも刻まれていました。

 

 そこから更に西に1.2kmほど進み、高昌寺というお寺の入口の角に地蔵堂が2つ並んでいました。

 そしてそこには「禁葷酒(きんくんしゅ)」と書かれた石柱がありました。

 「禁葷酒」とは、辛味や臭気など刺激の強い野菜と酒の持ち込みを禁ずる、ということのようです。

 

 さらに300mほど西に進み白雪川の河口付近に架かる白雪橋に来ました。橋から見た日本海です。

 また、反対側を見ると鳥海山が綺麗に見えます。

 

 橋を渡り200mちょっとで稲荷神社に着きました。

 この稲荷神社は、慶應4年に戊辰戦争により社殿が焼失して明治2年に再建されたものとのことです。

 稲荷神社の裏側は芹田岬になっていますので寄り道しましょう。

 

 さて、これからは南に進みます。国道7号線を横切ってすぐの集落に入る道路の入口に大きな石碑がありました。

 「牛頭天王(ごずてんのう)」と刻まれています。牛頭天王は、京都の感神院祇園社(現 八坂神社)の祭神で、牛頭天王の神格については様々な説があり定説は確立していないようですが、いずれにしろ疫病を司る神とされていたようです。

 確かに石碑の裏には「元治元 子歳六月吉日」と「村中安全」の文字が見えますので1864年に住民の安全を願って建てられたものでしょう。

 

 その後も南下を続け「勢至(せいし)公園」に着きました。

 勢至公園は、秋田県内で最も早く桜が開花する名所として知られている公園ですが、

さすがにまだ桜は咲いていません。白い梅(?)は咲き始めていました。



 勢至公園を出て金浦港のそばに来ると高台の中腹に何やら石仏らしきものが見えます。行ってみましょう。

 どうやら海難者を供養する石仏のようです。

 左(※上の写真の1枚目)の石仏は元文2年(1737年)の海難者86名を供養したもの、中央(※上の写真の2枚目左側)の石仏は慶応元年(1865年)の海難者34名、そして右(※上の写真の2枚目右側)の石仏は明治19年1886年)の海難者4名と明治25年の海難者10名の供養碑ということです。

 

 この高台は津波の際の避難所にもなっているとのことです。上まで行ってみました。金浦港が見えます。

 予定に無い行動が多く、だいぶ時間が押してきましたので先を急ぐことにします。

 予定していた道の駅象潟での休憩をパスして「坩満寺(かんまんじ)」の入口に着きました。

 坩満寺は、仁寿3年(853年)に天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられていますが、古くから文人墨客が訪れた名刹として知られ、元禄2年(1689年)には松尾芭蕉も訪れています。

 入口の手前を左に進むと芭蕉があります。

 そしてその向かい側には西施(せいし)像があります。

 西施は、中国の春秋時代の越の美女ですが、なぜ坩満寺にこのような像があるのでしょうか?

 その謎は西施の像の説明板を見て解けました。

 芭蕉はこの坩満寺を訪れた際に、「象潟や 雨が西施に ねぶの花」という句を詠んでいるんですね。

 

 ところで象潟は昔は広範囲に潟湖になっており、潟湖に島々が浮かぶ風光明媚な景勝地でした。そして芭蕉が訪れたころの坩満寺はその湖畔になっていたそうです。

 ところが、1804年に発生した象潟地震により湖底が約2m隆起し、湖の大部分が干上がって現在は田んぼの中に島が点在するような景色になっています。

 こんな感じで、「九十九島」と呼ばれています。

 では、坩満寺に行ってみましょう。

 ここが山門です。

 

 そして本堂です。



 庭園に入ると「親鸞聖人御腰石」がありました。

 ただ、これは親鸞がこの地に来たのではなく、肥前島原の西方寺にあった親鸞が腰掛けたとされる石を安永6年(1777年)に切支丹ノ変を避けるために信者が蝦夷地に輸送中にシケにあい、象潟に陸揚げしてここに納めたものと言われているようです。

 

 そして芭蕉の句碑もありました。

 

 また、昔はこの坩満寺が湖畔になっていたことの名残でしょう。「舟つなぎ石」というものもありました。

 このほかご紹介したいものはたくさんあるのですが、長くなりますのでこの辺にします。

 予定通りの時刻に坩満寺を出て再び羽州浜街道を進みます。象潟ではところどころに「きさかたさんぽみち」という標柱が立って道案内をしてくれます。

 標柱のすぐそばには「猿田彦」と書かれた石碑と祠それに石仏がありました。

 「猿田彦」の名前は聞いたことが無かったので調べたところ、神話に登場し、猿とも天狗ともいわれる怪奇な風貌をしている導きの神、道の神だそうです。猿田彦を祭神とする神社は全国に二千余社あるそうですので、もしかしてこれまでも見たことがあったのかもしれません。

 

 なおも街中を進むとレトロな洋風の建物がありました。象潟公会堂です。

 昭和9年に建設され、今もコンサートホールとして現役で活用されているようです。

 

 そして象潟公会堂の入口付近には「紅蓮尼生誕地跡」ということで紅蓮という尼さんの石碑と紅蓮さんの物語が書かれた説明板がありました。ここの紅梅は開花が進んでいました。

 

 この辺は寺や神社が数多くあるのですが、この後に乗る電車の出発の時刻が迫ってきているので立ち寄る訳にはいきません。

 ただ、途中で「古四王神社」という名前を見つけました。

 私の住む秋田市にも古四王神社という神社がありますが、秋田市の古四王神社と関係があるのでしょうか?

 説明板には、ここの神社は秋田市の古四王神社に分霊をお願いして建立したものとされていると書かれていました。



 さあ、あとは寄り道しないでまっすぐに進みましょう!

 ただ、終盤になると疲れが出てなかなかスピードが出ません。キロ6分台の後半になってしまいました。

 国道7号線に入って南に進み、上浜駅への入口に来ました。ここが次回の旅ランのスタート地点です。

 

 上浜駅に着きました。なんとか発車時刻の5分前に到着です。

 そしてJRで車を置いてある潮風公園の最寄り駅である仁賀保駅まで移動し、潮風公園から自宅まで車で戻ってこの日の旅ランは終了しました。

 この日の走行距離は19.1kmで、ロキソニンを飲んでもハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みはありますが、旅ランの楽しさが痛みより勝っている感じがありますので、これからも旅ランを続けられそうです

羽州浜街道ランその④(羽後本荘駅~潮風公園)

 昨日(3/24)は、羽州浜街道ランの第4弾として羽後本荘駅からにかほ市平沢にある潮風公園までの旅ランを行いました。

 そのルートは次のとおりです。

 まずはゴール地点の潮風公園に車で向かいます。

 潮風公園に着きました。平沢漁港の隣にある芝生に覆われた公園で海が見えます。

 ここから500mほど離れた仁賀保駅まで歩きますが、途中で古い洋館を見つけました。家に帰ってから調べたところ、これは旧松野医院1920年(大正8年)に建てられ2011年に閉院したとのことです。

 

 仁賀保駅に着きました。ここから羽後本荘駅へJRで移動です。



 羽後本荘駅の通路からは鳥海山が良く見えました。天気は晴れで風も弱く絶好の旅ラン日和です。

 ここからまずは羽州浜街道まで走ります。

 1.2kmほど走って前回の旅ランで訪れた地点まで来ました。ここで右に進みます。



 600mほど西に進むと何やら櫓のようなものがあるお寺がありました。

 善応寺というようです。

 ネットで調べたところ、善応寺は「1466年に建立され、1598年にこの古雪町が開拓された時に羽州浜街道沿いの現在地に移転した」とされているようですので、ここが羽州浜街道だったことは間違いが無いようです。

 また櫓のようなものは太鼓堂で、仏事で使用する太鼓を備えた建物のようです。

 

 善応寺には鐘楼もありました。

 

 さらに400mほど西に進むと看板のようなものがありました。

 よく見るとこれは古雪湊と古雪御蔵の解説板でした。ここは子吉川の川沿いですが、解説板によると江戸時代には日本海を航行する北前船が停泊する古雪湊があり、いろいろな物資の流通と共に「おおきに」とか「なんぼ」といった上方言葉も伝えられた、と書かれています。

 私の住む秋田の方言でも「いくら、どれほど」という意味で「なんぼ」という言葉が使われていますが、大阪弁と一緒なのは単なる偶然と思っていました・・・。

 

 更に西に300mほど進むと道路沿いに大きな観音像がありました。「元文五」の文字が見えますので1740年に建てられた物のようです。

 

 更に西に進んで国道7号線のガード下を潜り、浜ノ町に来ました。ここで不思議な場所を発見!

 庚申塚などいくつもの石碑や石像がある場所です。

 

 そしてその中には芭蕉翁」と刻まれた歌碑らしきものがあります。ただ、書かれている内容はほとんど判読できません。

 

 また、俳句らしきものが刻まれている石碑もありました。かろうじて「旅人」という文字が読み取れます。

 これらは何なのでしょうか?芭蕉」とは書かれていますが、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で秋田県を訪れたのはここから20数km南の象潟(※にかほ市)までのはずですので、ここに来て句を詠んだ記念、ということはありえないでしょう。

 釈然としないままこの場所を離れましたが、家に帰ってからいろいろと調べたところ、由利本荘市公式ウェブサイトにヒントが見つかりました。

 それによると、「市内にいくつかの芭蕉碑があります。この芭蕉碑というのは俳句愛好者たちが、俳聖とあがめる芭蕉を祀り、自らの俳句の上達を願い建立したものです。」とあります。そのうちの2つについては実際の写真が掲載されていました。

 残念ながら、その写真の中にこの石碑はありませんでしたが、おそらくこれも愛好家が建立したものでしょう。文字が読み取れないだけに紛らわしいですね(笑)。

 

 さて羽州浜街道ですが、本来ですともう少し子吉川の河口に向かって進み、途中から南西に進んで西目の海士剝集落に出るようなのですが、現在はそのほとんどが松林に覆われて道が無くなっています。

 ということで、やむなくここで左折して羽州浜街道から離れます。

 

 国道7号線を経由して海士剝集落に着きました。ここからは再び羽州浜街道となります。

 この先は毎年9月の第2日曜日に行われる西目健康マラソンのコースを走ります。

 西目海岸です。

 

 西目の出戸地区まで来ました。特に羽州浜街道の痕跡はありませんが、瓦屋根の民家が連なり風情があります。

 

 その後は一旦国道7号線に合流し、にかほ市に入ってから平沢地区の住宅地を通って創業1487年という全国でも3番目の歴史を持つ酒蔵を持つ「飛良泉本舗」に着きました。

 ここは店舗のようですが、土日祝日は休業との張り紙がありました。

 工場はこの裏でした。

 今回の旅ランはここまでで、後は車を置いてある潮風公園に戻ります。

 この公園のすぐそばに「かみのゆ温泉」という温泉があるようですので歩いて行ってみます。

 一見、銭湯のような店構えで内部も銭湯っぽい感じでした。ただ、お湯は琥珀色のモール泉で紛れもない温泉(※温泉成分分析表を見ると泉温が19.5℃となっていましたので正確に言えば鉱泉でしょうか?)です。直接関係は無いとは思うのですが、薪でお湯を温めているせいか、とても肌に優しく気に入りました。

 ここは平沢海水浴場からもすぐ近くですので、泳いだ後にここの温泉に入れば最高でしょう。入浴料は400円でシャンプーなどの備え付けはありません。

 

 汗を流してさっぱりしたところで帰宅です。

 結局この日は16.1kmの距離を写真撮影を除いてノンストップで走り続けました。

 やはりロキソニンを飲んでいても痛みはありますが、これだけの長い距離を走れたことに安堵しています。

 ようやく暖かくなり旅ランには好適な季節になって来ましたので、これからは大いに旅ランを楽しみたいと思っています。

羽州浜街道ラン&ウォーク③(道の駅岩城~羽後本荘駅)

 だいぶご無沙汰しておりましたが、昨日(3/16)は羽州浜街道ランの第3弾として由利本荘市道の駅岩城から羽後本荘駅までのラン&ウォークを行いました。

 まずは今回のスタート地点である道の駅岩城まで車で向かいます。

 道の駅岩城に到着しました。天気はまあまあ。少し風が強いので波も高くなっています。

 でも、この日はここから南に向かいますので追い風となります。

 ただ、鵞足炎(?)による左膝の痛みなどにより、この10日ほどは全く走っていないのでこの日予定している20km余りのコースを走り切る自信はありません。

 そこで最近よくやっているように1km走って1km歩くということを繰り返すラン&ウォークで進むことにします。

 

 5kmほど走り(歩き)、国道7号線から松ヶ崎の集落に入ります。

 何か羽州浜街道の痕跡は無いものか探していたところ、道路脇の墓地のそばに地蔵堂があるのを見つけました。

 ちょうどその地蔵堂を掃除している年配の女性がいらしたのでここは羽州浜街道だったのか聞いてみたところ、良く分からないが昔からの道路で以前は国道だったとのことでした。そして現在の国道7号線がある場所は以前は田んぼだったとのことですので、まあ間違いないでしょう。

 

 その後は国道7号線と海岸沿いの集落の中の道を進んだのですが、芹川という集落では家々の敷地の海側には板で高い塀を造っていました

 逆光で良く見えないですね。反対側からも写します。

 秋田県日本海からの風が強いため風力発電導入量は全国第2位となっていますが、由利本荘地区では海岸に面して建っている家はその風から家屋を守るため、ほとんどがこのように板などで覆われているようです。

 

 また7号線に戻り南に進んでいると「夕陽の見える日露友好公園」の看板がありました。この看板はこれまでも気にはなっていたのですが、一度もこの公園に行ったことはありません。

 7号線に隣接しているポケットパークのようですので立ち寄ってみましょう。

 石碑には「露国遭難漁民慰霊碑」と書かれています。

 そして隣にある説明板によると、昭和7年にここ深沢海岸にロシアの漁船が漂着し、深沢の住民が4名の乗組員の救助を行ったが、うち1名は既に死亡していた。他の3名は住民からの食事や介護を受けて元気を取り戻し、3日後には敦賀経由で帰国した。死亡した1名に対しては地域の共同墓地に十字架を立てて懇ろに埋葬された、とのことです。

 そしてまた60年後の平成4年には、秋田県の内外からの厚志によりこの「夕陽の見える日露友好公園」と「露国遭難漁民慰霊碑」が完成し、ロシアとの交流を推し進めている、とのことが書かれていました。

 国境を越えて命の尊厳の大切さを示したこれらの行為には感動を覚えます。

 自らの野望のため人命を奪い続けているどこかの国の独裁者には、この話を聞かせてやりたい!

 

 羽州浜街道はその後も7号線を3.5kmほど南に進んでから7号線を離れて市街地に向かいます。

 特に旧街道の面影はありませんが、途中で太平山三吉神社の石碑がありました。

 太平山三吉神社秋田市総本宮があるのですが、北海道、東北各地それにブラジルのサンパウロにもその分霊が祀られている神社があり、石碑や祠も数多くあるそうです。この石碑もだいぶ古い物のようですので、この道も古くからあったのでしょう。

 

 そして羽州浜街道は由利橋で子吉川を渡るのですが、その前に少しだけ羽州浜街道を離れて本荘郷土資料館に立ち寄りたいと思います。

 ここへ来た目的は次回の羽州浜街道での立ち寄り先の参考になるものを探すことです。

 残念ながら特にこれと言ったものはありませんでしたが、ひとつだけ非常に興味をそそられるものがありました。

 それはこの場所から1kmも離れていない子吉川と芋川の合流地点の河川敷にある「菖蒲崎貝塚」の出土品です。

 菖蒲崎貝塚は、縄文時代早期の貝塚ですが、秋田県ではあまり貝塚が多くない中でこの菖蒲崎貝塚日本海側の貝塚としては最大級のもののようです。

 恥ずかしながら私はここにこのような貝塚があったとは知りませんでした。発掘調査が比較的最近になって行われたこともあるのでしょうが、勉強になりました。

 

 そしてもう一か所、羽州浜街道からほんの少し離れているのですが、国登録有形文化財の「齋彌酒造店」の建物も見学しましょう。

 この建物は明治35年頃に建てられたものですが、二階は洋風にするなど独特のデザインとなっています。

 齋彌酒造店は、最近ではあまり見かけなくなった「由利正宗」と秋田県では人気の「雪の茅舎」という日本酒を製造している会社ですが、この建物の向かい側には齋彌酒造店が経営している「発酵小路 田屋」というカフェもありました。

 昼食がまだだったのでここで昼食にしましょう。

 ランチの塩こうじたまごサンドのセットをいただきました。

 また、店内には土産物コーナーが併設されており、雪の茅舎入りの酒まんじゅうをお土産に買いました。

 食べて見たら他の酒まんじゅうよりも酒の香りが十分に感じられ、美味しかったです。

 後は羽後本荘駅に向かうだけです。100mほど戻って再び羽州浜街道に入り、由利橋を渡ってから300mほど進むと羽州浜街道は右折するようです。

 「羽州浜街道の地図|旧街道モバイルマップ」というサイトによるとここで右折なのですが、グーグルマップによるとここは直進で本荘城のそばを通り、すぐには海岸方向には進まずに内陸部を通って西目漁港の辺りで海岸に出るという全然違うルートになっています。

 どちらを採用すべきか迷うところですが、「出羽街道・浜通り(鶴岡~秋田)を歩く」(※出羽街道浜通り羽州浜街道の別名)というブログでもここを右折のルートを辿っていることからここは右折とします。

 ということでこの日の羽州浜街道ランはここで終わりとし、JR羽後本荘駅に向かいます。

 羽後本荘駅に着きました。

 前回この羽後本荘駅に来た時は駅舎の工事中でしたが、ようやく完成したようですっかり新しくなっていました。

 そして電車で岩城みなと駅に移動し、道の駅岩城に置いてある車に乗って帰宅しました。

 結局この日はランではキロ7分台(10.0km)、ウォークはキロ11分台(10.6km)で何とか無事に終了です。

 ロキソニンを飲んではいたのですが、やはりハムストリングス付着部炎による右臀部の痛みはあります。ただ心配していた鵞足炎(?)による左膝の痛みはほとんど出現しませんでしたので少し安心しました。

 今後は少しづつ走れる距離を伸ばして旅ランの行動範囲を拡げられたらと思っています。